今年1月に母・みどりさん(享年89)を亡くしていたことを明らかにしたキャスターの安藤優子さん(56才)。みどりさんは、73才のころに認知症の症状が出始め、6年前から介護付有料老人ホームに入っていた。
認知症は現在、決定的な改善を促す薬はなく、進行を遅くしていくこと以外ない。薬によって食欲をなくし、記憶も曖昧になっていったみどりさんだが、施設に入って1年が経った頃、「臨床美術」と出合う。独自のアートプログラムに沿って創作活動を行うことで、認知症の症状を改善させるもので、みどりさんは劇的な変化を遂げた。その様子を安藤さんが振り返る。
「私の友人に、臨床美術士の資格をとった人がいて、お母さんにこのプログラムをやってみていい? って。初日に、友人がアンスリウムの花を買ってきました。母はハワイが好きで、私とよく旅行していたんです。花から広がるハワイの思い出を、うまくしゃべれなくてもあれこれ会話して、ハワイアン音楽をかけて、窓を開けて風を入れ、ちょっとお香も焚いて。手のマッサージをして、50分たったら、最後の10分で自由にアンスリウムを描きます。最後に『あんどうみどり』とサインを入れました」
アクリル絵の具とパステルで描かれたアンスリウムの絵に、安藤さんは目を見張った。みずみずしい色彩感覚と大胆な構成は、元気な頃の母その人を思わせた。安藤さんはこう話す。
「色遣い、筆致を見たとき、『なんだ、母は何も変わっていないんだな』ってわかったんです。認知症で言葉を失ったかもしれないけど、母らしさは何も奪われてない。あの母はもういない、と打ちひしがれていた私は気持ちがすごく楽になりました。
絵を描いたときの母がね、『よくできた』って振り絞るように言ったんですよ。自分を褒めた。それまでは、ずっと否定の連続だったんですね。しゃべれない、歩けない、料理もできない、自分で自由に食べられない。自分自身に対する否定が、母の怒りの根源でした。ドラマみたいな話ですけど、初めて自分を肯定できたところからがらっと変わって、気持ちが落ち着いていったんです。
カリフラワー、下仁田ネギ、大根。身近な素材を、毎週1枚のペースで描いていきました。86才と88才の時に個展を開いたので、90才の今年、3回目の個展を開くのが私の夢でした。だから母が亡くなったとき、『ここで死んじゃうの?』って。
3年ほど前から言葉を失っていた母に、亡くなる少し前、言葉が戻っていたんです。『ああ、おなかすいた』とか、『おはよう』とか。姉のことを『雅子』、私を『優子』と呼んでみたり。今思えば命が最後の瞬間に強い光を放ったのかな。
この3年は非常に穏やかで落ち着いていたので、食欲が落ちたのを機に徐々に認知症の薬を減らし、最後の1年ではすべてやめていました。怒りの感情が強い認知症の初期には投薬もしかたないんですが、気力をなくし一日中うつらうつらした状態では嚥下力も落ちるんですね」
※女性セブン2015年4月9・16日号