アジアの急成長を牽引したカリスマ指導者の死に、世界中の首脳が弔意を表した。小国シンガポールを東南アジアの金融・貿易センターに成長させたリー・クアンユー元首相が、3月23日、この世を去った。日本による占領を経験し、日本の復興を手本としたシンガポールの「建国の父」は、中国の脅威を語っていた。1995年の雑誌『SAPIO』での大前研一氏との対談で、リー氏は中国についてこう述べている。
「中国は現在、学習期、それも初期の学習期にあります。しかし、20年後には我々が35年かかって到達したレベルに達し、その場合、我々の競争上の強力なライバルとなり得るでしょう」
対談が行なわれた1995年当時、中国のGDPは日本の7分の1に過ぎなかったが、リー氏の予言通り、今や中国のGDPは日本の2倍となった。そして中国がアジア地域で強い影響力を持つことに警鐘を鳴らした。
「米国は引き続き太平洋地域で、その役割を果たし続ける必要があります。(中略)新興勢力がこの地域で支配的となることが予想されるからです。つまり20~30年後には、中国が強大な勢力になる」
当時、シンガポールは蘇州の広大な工業地帯開発に参入しており、中国はすでに「ビジネスパートナー」であったが、リー氏はその潜在力に危機感を募らせていた。当時の演説の中では次のように語っていた。
「中国の近隣諸国は、すべての国は大小問わず平等であるとか、中国は決して覇権を追求しないなどといった、中国の儀礼的な文句を信じてはいない」(1994年)
「われわれは、ASEAN諸国がどう力を合わせても、中国との軍事衝突には耐えられないという現実を受け入れなければならない。米国のような外部の力が存在しない限り、この地域の均衡は保たれないのである」(1996年)
氏の予言通り、中国は海軍力を振りかざして東シナ海や南シナ海で領土拡張にひた走っている。その“災厄”は、日本にとっても東南アジア諸国にとっても極めて深刻だ。
「リー氏は中国の伝統や、アジアにおいて果たしてきた役割について評価する一方で、近年の政治や対外政策に対する批判や注文もしっかりと行なっていました。その上で、中国の変化は外からではなく、内部から起こるだろうと指摘していました」(明石康・元国連事務次長)
※週刊ポスト2015年4月10日号