満開の桜が咲き誇る東京・門前仲町にある深川不動堂。4月2日、その江戸時代から続く由緒ある寺院に、じっと手を合わせて祈る松居一代(57才)と船越英一郎(54才)の姿があった。
この前日は夫妻にとって記念すべき日だったようだ。松居は自身のブログで、こう綴っている。
《我が家は4月1日、大きなスタートがございました。お蔭様で息子が社会人になったのです。スーツに身を包んで出かける息子を船越と二人で見送りました。後ろ姿を眺めていると胸がいっぱいになり、涙が止まりませんでした》
まさに感無量といった様子の松居だが、彼女と長男(25才)が歩んできた苦難の連続の半生を振り返れば、そんな万感の思いもうなずける。
1987年、松居はDCブランドの創業者と結婚、3年目に誕生したのが長男だった。しかし、彼は生後まもなくアトピーを発症。後には発疹が全身に及び、松居の病院巡りが始まる。絨毯が問題と聞けばフローリングに張り替え、米や卵のアレルギーが判明すれば、母乳への影響も考え自らも米や卵を断った。だが、症状は悪化する一方で、一度は母子心中さえ考えたという。だが友人の紹介で出会った中国人漢方医の処方した漢方薬のおかげで長男のアトピーは4才で完治した。
続いて抱えたのが、離婚トラブルだ。夫の不倫が原因で長男が2才のときに別居したものの、夫が離婚を受け入れたのは7年後という泥沼離婚だった。
「松居さんは、離婚問題は長男の成育環境としては最悪だったと猛省していました。また知らない間に夫のローンの連帯保証人にされ、2億円近い借金を背負わされていたのも母子の生活に追い打ちをかけました」(松居の知人)
その後、松居が船越と子連れ再婚したのは、2001年のこと。
船越と再婚後の松居の活躍は言うに及ばないが、その一方で長男の苦難は続いた。2008年、高校3年生になった長男は大学受験に挑んだが、残念ながら志望校は不合格。
「一度は“滑り止め”の大学に進学したんですが、第一志望校を諦めきれず、1年間“仮面浪人”をして翌年、志望校に入り直したんです」(前出・松居の知人)
大学入学後は、起業したり、松居の会社を手伝ったり、居酒屋でアルバイトをしたりとさまざまな経験をした。
「ただ、髪を赤く染めたり、最近では、今話題の女装男子の姿をFacebookで公開したりする息子の姿を見て、松居さんは内心ずっと心配していたんですよ」(前出・松居の知人)
しかし、就職難といわれるこの時代に、松居の長男は見事、就職先を見つけ出したのだった。
「就職が決まってからは黒髪に戻して真面目な格好をしていましたよ。希望していた金融関係の会社に入社したみたいですね」(前出・松居の知人)
女性セブンは今年1月、船越の行きつけの店で、彼が長男と2人で乾杯しているシーンを目撃している。
「就職が決まったお祝いで乾杯していたようです。船越さんは息子さんに“お母さんに心配かけるなよ”なんて話してましたね」(居合わせた客)
※女性セブン2015年4月23日号