日本人の多くは、戦前の日本軍と戦後の自衛隊は別物だと考えている。だが、実際に航空自衛隊の創設を担ったのは、旧日本軍の戦闘機パイロットたちだった。軍事ジャーナリストの井上和彦氏が上梓した、存命の日本軍エースパイロットたちが語る戦場秘話を集めた『撃墜王は生きている!』(小学館)より、その知られざる秘話を紹介する。
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「B29を体当たり攻撃で撃墜しながら生還した」陸軍飛行第244戦隊の小林照彦戦隊長は、戦後は民間人となったが、日本の国土防衛を在日米軍に頼っている状態を非常に憂えていた。日本の国民と国土は、日本人の手で守るべきだとの思いに駆られたのであろう。
昭和27年3月22日、小林氏は民間人の立場ではあったが、米極東空軍司令官宛に「日本人空軍部隊創設請願書」なるものを提出した。日本空軍再建を申し入れたのである。
その内容は、千恵子夫人の著書『ひこうぐも』(光人社)に綴られているので一部を紹介しておこう。
〈現在の国際情勢及び日本の置かれている立場に就いては今更申し上げるまでもなく、既にご承知の通りであります。
空軍、就中防空戦斗隊は、日本の防衛、延いては自由世界の防衛に欠くべからざる要素であります。我々は現在の非常事態に直面して、我が国の国防を貴軍にのみ依存して、安閑たり得ないのであります。即ち、現在我々は貴空軍の厚き友情と、信頼と、そして絶大なる援助庇護の下に、実に平穏に幸福を享受して居るのでありますが、我々は貴空軍の血の犠牲に於いて我々の安全を図る等のことは到底忍び難いところであります。斯くて我々は、自ら進んで、貴空軍と協同して、これが防衛の一翼を担わんものと熱望する次第であります〉
この内容は、すなわち航空自衛隊の創設主旨であり、同時に、現在でも変わらぬ航空自衛官の志そのものではないだろうか。小林氏は、航空自衛隊の生みの親の一人といえるだろう。
※井上和彦・著/『撃墜王は生きている!』より