「ガンプラ」(ガンダムのプラモデル)で知られるバンダイと、1980年代に一世を風靡したゲーム「パックマン」などで知られるナムコが2005年に経営統合して生まれた、バンダイナムコホールディングス。
「妖怪ウォッチ」グッズの大ヒットなどで、2015年3月期連結決算は売上高が約5655億円、営業利益も過去最高の約563億円となった。
ノンフィクション作家の杉山隆男氏が、ナムコ時代に大ヒットアーケードゲーム「ワニワニパニック」を生み出した同社の石川祝男社長に当時の苦労話を聞いた。
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いずれはゲーム機の開発に携わりたいという石川氏の思いが叶ったのは、1985年、30歳のときである。
だが、当時売れ筋のビデオゲームではなく、それ以外のゲームを開発するチームで、石川氏の表現にならえば、「ほとんどヒット作が出なくて、もうおとりつぶし直前」の状態だった。そこにヘッド兼企画担当として送りこまれる。
チームは4人、アイディアが出ないから当然仕事もなく、朝から部屋で顔をつき合わせたまま、設計担当は技術雑誌を読むふりをするという毎日を送っていた。
企画は石川氏の仕事である。「とにかくアイディアを出すしかないとずいぶん焦りました」という中、いくつかのゲームの開発をへて2年ほどのちに大ヒット作「ワニワニパニック」が生まれる。
石川氏がはじめに自ら掲げたコンセプトは、「一世を風靡した『モグラたたき』を超えるもの」だった。
「ハンマーを使った叩きものをつくろうというのが大前提でした。そこから、モグラたたきと違って、もっとプレイヤーに恐怖感を与えるような設定のほうがおもしろいんじゃないか、というのがまず浮かんだんです。
そのとき、自分でこわいものといったら、ワニとか、ゴキブリみたいなものかなと思いつつ、とにかく自分に迫ってくる、それを撃退するっていうイメージが出てきたんです」(石川氏)
すぐ企画書にまとめて上司に提出するも却下。だが、「イケるという確信がありました」と語る石川氏は諦めない。その日の午後には、ワニの形をしたスリッパを買ってきて、段ボールでワニが出てくる穴をつくり、部長の前でBGMを歌いながら、自ら「ワニワニパニック」になりきってみせた。
穴から出たり引っこんだりを繰り返しながら、迫ってくるワニのスリッパを叩こうと必死の部長は「たしかにモグラたたきとは違うね」とおもしろがってくれた。企画は復活し、専従のチームが編成されてプロジェクトは動き出す。
「そこそこのヒットは、10人中7人くらいが、いいねっていうんですけど、大ヒットは、いいねが1人か2人くらいのものの中から生まれるんですね。世の中にないとか、新しいムーブメントを起こすとか、そういうのはそれまでの常識からはずれていますから」
※週刊ポスト2015年6月19日号