この国はかつて、終戦という大きな決断を昭和天皇に委ねた。ほかの誰もが責任を回避するために……。
ご聖断から玉音放送までの1日を描いた映画『日本のいちばん長い日』のリメイク版が話題を呼んでいる。それは、70年前といまで「何も変わっていない」ことに、私たちが気づいたからではないだろうか。原作者の半藤一利氏が、「無責任国家」としての日本を論じる。
* * *
戦前の教訓があるから、日本人は意思決定のシステムを少しは直すのかと思ったら、70年経ってもまったく変わっていない。それが現在の率直な感想です。
戦時中、陸軍参謀本部第一部の第二課(作戦)にはエリート中のエリートが集められ、すべての作戦計画はここで立案され、戦争を指導しました。彼らは機密を要求されたこともあって、外部との接触を避け、第二部(情報)からの情報までもときに無視し、いかなる批判にも耳を貸さなかった。
一部の知的エリートがサザエの殻のように閉じこもり、「これが日本のためになる最高のプランだ」と考えたことを推進する。戦前は軍部の秀才がそれをしたが、戦後は官僚に変わり、現在の安倍政権では「内閣官房」に変わっただけです。このエリート集団に共通しているのは、責任を取らないことでしょう。
1939(昭和14)年に満洲国軍(日本軍)とモンゴル軍(ソ連軍)が衝突したノモンハン事件では、日本政府の不拡大方針に不満を抱いた関東軍の辻政信、服部卓四郎ら参謀が独断専行して日本軍の惨敗を招きましたが、責任を問われることなく、太平洋戦争の開戦時には陸軍の中央に返り咲きました。参謀本部はまったく反省していなかったわけです。
ここで思い返されるのが、新国立競技場建設の騒動です。文科省に日本スポーツ振興センター(JSC)、JOC、東京五輪組織委員会、東京都などが、おのおの好き勝手な要望を詰め込んでいくうちに建設予算が2倍近くに膨れあがっているのに、誰にも止められませんでした。世間から猛烈な批判を受けて、ようやく撤回しましたが、新国立競技場の建設の主体は文科省とJSCであり、もっとも責任が重いのは明らかです。
しかし、下村文科相は辞任せず、官僚を一人、クビにして幕引きをはかろうとしています。最近ではめったにお目にかかれない、絵に描いたような“トカゲの尻尾切り”、無責任さです。