九州電力の川内原発が再稼働したが、いま、福島の被災者は何を考えるのか。高村美春さん(47才)は、福島第一原発から25km圏内にあたる、福島県南相馬市に暮らしている。震災以前は市内の介護施設でパートをしながら、シングルマザーとして3人の息子を育てていた。震災当日、美春さんは21才の長男、18才の次男、4才の三男(当時)と逃げ惑った。
「自宅がある原町区は、地盤が硬くて電気もガスも水道も使えたので、避難するという考えはありませんでした。
状況が変わったのは翌日の午後です。友達から『原発が危ないみたい』と、メールがきたんです。実は震災後、真っ先に調べたのは原発のことだったんですが、情報がまるでない。爆発したといっても何かが飛んでくるわけではないし、放射線についての知識もない。どうやって防ぐのかなんて、わかりません。
弟から、『浪江に住んでいる次姉には避難命令が出て避難した。お姉ちゃんも逃げたほうがいいよ』と連絡がありました。でも、うちは行政から避難命令も出ていない地域で、どこへ行けばいいのかわからない。役所に問い合わせても『わかりません。国からも県からも情報がきていません』と言うばかりなんです」
ネットで調べているうちに、自宅が原発から25km圏内であることを知り、「そんなに近かったの」と驚いた。20km圏内の小高区に避難命令が出ているのになぜ原町区には出ないのか疑問だったが、行政からはなんの指示もなかった。
一度は避難した美春さんだったが、仕事があるから地元を離れられない。4才の三男と就職が決まっていた高校生の次男だけでもと、美春さんは埼玉に住む元夫に2人を託すことに決めた。
「待ち合わせに向かう途中で郡山市内のコンビニに立ち寄ったら、こっちは命からがら逃げ出してきたのに、漫画雑誌を立ち読みしている人たちがいる。そのギャップに驚きました。20km圏内は避難区域で、30km圏内は違う。屋内待避といわれてもわけがわからず、自分がどこにいるのかもわからなくなっていました」
※女性セブン2015年9月17日号