みあれ祭の朝。神輿で大島港へ向かうご神璽
福岡の玄界灘の孤島・沖ノ島。4世紀頃から国家祭祀場であったこの島の沖津宮を含む宗像大社の3宮の姫神が10月1日、海上神幸「みあれ祭」で再会する。同祭は鎌倉時代に起源をなす神事で、1962年に再興。「みあれ」は漢字で「御生れ」と書き、神が新たに再生するという意味だ。2017年の世界遺産登録の候補地として注目を集める神秘の島と海上を賑わせる祭りの熱気を、作家・田澤拓也氏が案内する。
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玄界灘に浮かぶ大島。朝の港に、近隣の宗像七浦から続々と漁船が集まってくる。 紅白の吹き流しや色とりどりの大漁旗で彩られた船上からは青年や子供たちの歓声が響き、まるで秋の大運動会のような勇壮で華やいだ光に満ちている。
港内に、ひときわ高く、日の丸の旗と「国家鎮護 宗像大社」と書かれた幟を掲げる船がある。ご神璽を運ぶ御座船だ。
交通安全の守り神として名高い福岡の宗像大社は、辺津宮(宗像市田島)、中津宮(大島)、沖津宮(沖ノ島)の3宮から成る。
毎年一度、10月1日、沖津宮と中津宮の神輿を本土の辺津宮に迎えるのが海上神幸「みあれ祭」。3日間に及ぶ、国家安泰や豊漁を感謝する宗像大社秋季大祭の幕開けだ。
2隻の御座船が中津宮のある大島港を出航すると、お供の漁船団がひしめくように続いていく。 神輿に載せられ、1年ぶりに辺津宮で合流する宗像3女神。その再会を祝福するかのように漁船団が周囲を旋回しはじめた。祭りのクライマックスである。
今月、政府は「『神宿る島』宗像・沖ノ島と関連遺産群」を再来年の世界文化遺産登録の候補地としてユネスコに推薦することを正式決定した。
沖津宮の建つ沖ノ島は、宗像市の神湊の沖合60km。対馬の厳原から75km。玄界灘の真ん中にぽつんと浮かぶ。まさに絶海の孤島である。 灰色の岩と緑の原生林に覆われた周囲4kmの無人島は、全島がご神体かつ宗像大社の境内地とされている。神職一人が交代で常駐し、毎日神事が行なわれている。
現在も女人禁制が固く守られ、男性の上陸も平素は厳しく制限されている。
島の別名は「おいわず様(不言様)」。この島で見聞したことをみだりに口外してはならないとされ、一木一草たりとも持ち出しは禁じられてきたという。
この沖ノ島で、4世紀頃から9世紀末まで盛大な祭祀が繰り返されてきた。青銅製の鏡や純金製の指輪など夥しい奉納品が発見されており、約8万点が国宝に指定されている。「神宿る島」「海の正倉院」と称されるのも決して誇張ではないのだ。
みあれ祭の起源は鎌倉時代にさかのぼる。玄界灘に生きる人々の勇壮な海の祭りは悠久の歴史に我々を誘う。
撮影■阿部伸治
※週刊ポスト2015年10月9日号