「料理記者歴60年」、食生活ジャーナリストの岸朝子さんが9月22日に亡くなった。91才だった。
“ばぁば”の愛称で親しまれる料理研究家の鈴木登紀子さん(90才)はこう振り返った。
「気風がよくさっぱりしていて、細かいことは四の五の言わない。それでいて、仕事への情熱は人一倍強くて、確固たるこだわりをもっていました。心から尊敬できる立派なかたでした」
岸さんは1923年、東京生まれ。料理記者の道を歩み始めたのは、戦火をくぐり抜けたものの夫は失職し、4人の子供を抱え苦しい生活を送っていた1955年。32才の時だった。主婦の友社に入社し、料理本の編集、執筆を担当した。朝9時に出社、帰宅は深夜に及ぶこともあった。
当時、長女が小学4年生。4人の子供がいながら徹夜仕事をする岸さんは元祖・働く女性でもあった。13年間の在籍後、1968年に女子栄養学園(現・女子栄養大)に移り、雑誌「栄養と料理」の編集長に。岸さんの後に編集長を務めた佐藤達夫さんはこう明かす。
「それまでの教科書のような料理本とはまったく違う雑誌になりました。有名店の食べ歩きや、器やカトラリーの特集など数々のヒット企画が生まれました。また、専業主婦だった視点から、料理記者時代にレシピに大さじ、小さじと表記することを考案したのも岸さんです」
1993年からは『料理の鉄人』(フジテレビ系)に料理記者歴40年の審査委員として登場した。
「初めは裏方としてかかわっていらっしゃったんですよ。初代和中仏の鉄人、道場六三郎さんや陳建一さん、石鍋裕さんという料理人を番組に紹介したのも岸さんでした。岸さんがひとりで食べ歩いて推薦した料理人たちです。その後、その舌の確かさから審査員として出演してほしいという依頼を受けたことで、“おいしゅうございます”の名文句が生まれたんです」(テレビ局関係者)
動物や植物の命をいただくことへの感謝や料理、作った人へのリスペクトをこめての「おいしゅうございます」。岸さんは決して「まずい」と言うことはなかった。生涯一料理記者を貫き、昨年卒寿を迎えた岸さんだが、意外や酒豪の顔でも知られる。
親交のあった料理カメラマンが明かす。
「ある雑誌の企画で、沖縄を訪れた時のことでした。沖縄出身の岸さんからおいしい食材をたくさん教えてもらいました。
夜は、岸さんおすすめの沖縄料理店に行ったのですが、そこで岸さんは泡盛のボトルを2本注文したんです。“どうぞ飲んでください”とそのうち1本をスタッフみんなに振る舞っていただいたんですが、もう1本は岸さんが自分用にキープ(笑い)。ひとりで飲み干されていました。でもまったく酔っていらっしゃらず、驚かされました」
お酒を飲み始めたのは料理記者をはじめた頃から。男性陣には負けられないと、酒席では一升瓶の半分くらい飲んでいたという。
※女性セブン2015年10月15日号