吉高由里子(27才)主演のNHK連続テレビ小説『花子とアン』は、赤毛のアンの翻訳で知られる村岡花子をモデルにした物語だった。ドラマでは描かれなかったが、花子は『あさが来た』ヒロインのモデル・広岡浅子と交流を持ち、多大な影響を受けていた。『花子とアン』原案者で孫の村岡恵理さんがふたりの交流について明かしてくれた。
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15、16年前、祖母(村岡花子)の書斎でポートレートの束を見つけたんです。ポートレートは当時、親しくなった間柄で交換し合うものだったそうです。その1枚に、威風堂々としたご婦人のものがあって、「浅子」という名前だけ書かれていました。それが広岡浅子さんだったんです。
祖母より40才以上年上の浅子さんは、市川房枝さんなど若手の女性たちを集めて御殿場の別荘で、毎年夏に2週間泊まり込みの夏期講習会を開いていました。祖母は、大正5(1916)年の講習会に参加しました。
その頃、祖母は23才でした。白蓮さんと絶交して、人生の道をいちばん模索していた時期でした。自分がどこに進めばいいのか、誰かに教えてほしかった。
講習会では、祖母たちは浅子さんに言われて富士登山に挑戦しました。文学少女だった祖母は文筆家を目指しながら教師をしていました。当時女性が自立するのは難しい時代でしたが、自分の能力で生きていけると自信を持っていたんです。
それが、いざ富士山に登ろうとしたら、8合目あたりで動けなくなって。それで、仲間たちに押し上げてもらったり引っ張ってもらったりでさんざんだった。
浅子さんは富士登山を通じて、「自分の能力を地位や名誉のためではなくて、自分たちの同志のために使いなさい。あなたたちは仲間なんだから、いざとなったら手を結びなさい」ということを教えたかったのでしょう。
浅子さんの教えを受けて、祖母は、女性や子供のための家庭文学に本格的に進みます。祖母が道を定められたのは、浅子さんが背中を押してくれたからです。
浅子さんのことは、私の原案にも書いています。祖母にとって、白蓮さんと同じくらい重要なかたですから。『花子とアン』にも登場してもらいたかったんです。それがかなわず残念に思っていました。今回の朝ドラで浅子さんが主役と知って、そういうことかと納得しました。脇役より主役が似合う女性ですから。
※女性セブン2015年10月15日