今や巨人に勝るとも劣らない人気を誇る阪神タイガースだが、日本一を経験したのは1985年の一度だけだ。同年、ランディ・バース、掛布雅之、岡田彰布、真弓明信を擁し、圧倒的な打撃力で日本一に輝きながら、なぜ阪神は以後黄金時代を築けなかったのか? チームの中軸だった岡田氏が振り返る。
* * *
(優勝の)翌1986年は日本一のツケがきた。キャンプで故障者が続出し、シーズンに入ってからも4月にカケさん(掛布)が死球で左手首を骨折してしまった。バースは2年連続の三冠王に輝いたが、カケさんが欠けたことは大きかった。
1987年には最下位に転落。41勝83敗6分と史上ワーストとなり吉田(義男)監督が解任された。開幕前にカケさんの飲酒運転事件もあって、開幕から13試合目に最下位になってそのままや。カケさんとバースもいなくなってからは最下位の連続で、ファンに応援をやめられたこともある。
低迷の原因はチーム内のライバル関係がなくなったからかもしれん。カケさんとの仲はいろいろ取り沙汰されたが、いいライバル関係やった。右と左で違うし打ち方も別やけど、一緒に阪神を引っ張って行こうということでは同じやったと思う。
ただ話はほとんどしなかった。これはマスコミがしょうがないというか、掛布派や岡田派と書くから、メシとかにも行きづらかったわな。まァ、当時は選手同士でメシを食べにいくことはほとんどなく、専属のバッピ(打撃投手)がおって、そういった裏方と行くことが多かったというのもある。
マスコミは俺がカケさんとグラウンドで話をしたのを見たことないと煽っていたが、グラウンドに来ればチームとしてひとつになったよ。クリーンアップに日本人が2人いるとチームはまとまったわな。
今の阪神はこれでしか点が取れんとばかりに、バントや右打ちでランナーを進める野球をやる。昔はカケさんやバースが倒れたら「オレが打ったる」と打席に入ったもんやけどな。今は選手に個々の力がないからかもしれん。もう一度、1985年のような強いタイガースが見てみたいね。
【プロフィール】岡田彰布(おかだ・あきのぶ):1957年、大阪府生まれ。早大卒業後、1979年ドラフト1位で阪神に入団。1980年代の中軸打者として活躍する。引退後は阪神、オリックスの監督・コーチを歴任。
※週刊ポスト2015年10月16・23日号