いつ引退してもおかしくない年齢だったとはいえ、中日ドラゴンズの山本昌投手(50)が本当に2015年限りで引退すると想像していた人は少なかったのではないか。
「本当は引退したくなかったんです。できれば、あと1勝したかった」(山本、以下「」内同)
10月7日、広島戦に登板した山本は打者一人を打ち取り、自身が持つ最年長登板記録を50歳1か月に更新し、現役生活の幕を閉じた。
あと1勝すれば最年長勝利の世界記録(49歳180日)を塗り替えることができただけに、本人は「悔いが残る」と語る。決断したのは9月25日、白井文吾オーナーとの面談時だった。
「それまでは半々でした。もしオーナーから“来年も頑張ってくれ”と言われたら現役を続けるつもりでいたけど、オーナーからの一言は“今までよく頑張ったな”でした(笑い)。そう言われて“もういいや”って思えたんです。
記録へのこだわりはありましたが、谷繁(元信)監督、和田(一浩)、小笠原(道大)が引退を決め、チームが若返りを図っている時に“自分がいてもいいのか?”という思いも強くなっていました。最後はオーナーに背中を押してもらった形です」
体力的な衰えを感じ始めたのは5年前。それまでは練習が終わるとラジコン操縦やクワガタ飼育といった趣味に熱中していたが、45歳頃からは「体がすぐに壊れそうになるんです」と、練習後も体のメンテナンスに注力した。
衰えは感じていたが、完封(45歳24日)や先発勝利(49歳25日)など、45歳以降も数々の最年長記録を樹立していった。しかし、鉄人の「忘れられない一球」は、そうした記録とは無関係のものだった。1988年、中日と西武が戦った日本シリーズ。1勝1敗で迎えた第3戦に先発した。
「6回に無死一塁の場面があったんです。そこで西武の平野(謙)さんのバントを僕がファンブルしてしまった。これが決勝点に結びついて負けてしまい、この試合から3連敗。あのエラーがなければ中日が日本一になっていたと思います。200勝達成時よりもノーヒットノーランの時よりも鮮明に残ってる。27年も前なのに忘れられません」
●山本昌(やまもと・まさ)/1965年神奈川県生まれ。1983年、日大藤沢高校からドラフト5位で中日ドラゴンズに入団。最多勝に3度輝き、1994年には沢村賞を受賞。通算成績は581試合に登板、219勝165敗5セーブ、防御率3.45。
撮影■杉原照夫
※週刊ポスト2015年10月30日号