国民一人ひとり、子供や高齢者も含めた誰もが、家庭で、職場で、地域で、活躍する場所があり、将来の夢や希望に向けて取り組むことができる社会──。安倍晋三首相(61才)が新たに掲げたこの一億総活躍社会の実現に向けて設置される、「一億総活躍国民会議」の民間議員に菊池桃子(47才)が選ばれた。「子育て」「介護」「仕事」。その全てにおいて彼女はリアルに“総活躍”していた。
1984年4月、『青春のいじわる』で歌手デビューを果たした菊池。当時はアイドル全盛の時代、同期には荻野目洋子(46才)、長山洋子(47才)、安田成美(48才)など多くのライバルがいたが、15才の彼女は学業を最優先させた。
「あの頃のアイドルは仕事の合間に学校に行くという感じだったのに、菊池さんは大学進学を視野に入れて、地方でのキャンペーン活動も土日に限定していたんです」(芸能関係者)
4枚目のシングル『卒業―GRADUATION』から7曲連続でオリコン1位を記録。一躍トップアイドルの座へと駆け上ると、1995年にプロゴルファーの西川哲(47才)と結婚、長男(19才)と長女(14才)と2人の子供にも恵まれた。
しかし、そこからが試練の連続だった。結婚18年目の2012年1月に離婚。その直後、涙腺や唾液腺に障害が起きる難病「シェーグレン症候群」を患った。さらに、シングルマザーとなった彼女は大きな問題を抱えていた。
「菊池さんの長女は乳児期に脳梗塞になり、左手足に麻痺が残っていたんです」(前出・芸能関係者)
そして、子育てとともに彼女の肩にのしかかったのが、高齢の母の介護だった。脚の具合が悪く、リハビリや身の回りの世話をする必要があったのだ。
介護が必要な母と2人の子供との4人生活が始まった。しかし、彼女はいつも前向きだった。
子育てや介護に追われながらも、同年8月から母校である戸板女子短期大学の客員教授を務め、キャリア教育に関する講義を行い、さらに、翌年4月にはNPO法人「キャリア権推進ネットワーク」の理事に就任した。
「彼女が労働問題に強い関心を抱くようになったのは、長女の障害が大きな理由でした。進学を希望した学校に受け入れてもらえず就学が難しかったことから、国の政策や社会構造に疑問を持ったというのです」(菊池の知人)
菊池の奮闘、そして、母の背中に勇気づけられた長女は、昨年4月、希望していた都内の有名私立女子中学へと進学した。清純派アイドルから30年、母はこんなにも強くなっていた。
※女性セブン2015年11月12日号