「あきらめと一緒に生きるのが、幸せの原則ですよ」──。生前、口癖のようにそう言っていた。11月30日、漫画家の水木しげるさん(享年93)が東京都内の病院で亡くなった。多臓器不全で眠るように逝ったという。
93年間の生涯は、激動の一言だった。鳥取県境港市出身の水木さんは、学校の勉強はからきしダメだが、昆虫採集や紙相撲、海藻収集など好きなことには何時間でも夢中になれる少年だった。
小学校時代、地元の祈祷師「のんのんばあ」から聞かされた妖怪の話で、彼の人生が決まった。霊魂や妖怪の研究に明け暮れるようになった水木さんは、高等小学校卒業後、大阪で働きながら漫画家を目指すが、21才の時、太平洋戦争でラバウルに出征。米軍の爆弾で左腕を吹き飛ばされた。
「終戦後に帰国し、片腕で懸命に漫画を描き始めましたが、なかなかヒット作に恵まれなかった。40才を過ぎるまで、妻の布枝さんと赤貧の生活に耐えたのです」(出版関係者)
1960年、『週刊少年マガジン』で連載を始めた『ゲゲゲの鬼太郎』が大ヒット。以後、妖怪や戦争体験を描いた作品を発表し続け、2010年には布枝さんの書いたエッセイ「ゲゲゲの女房」がNHK連続テレビ小説として映像化された。
水木さんの知人によれば、晩年の彼は穏やかで、死を恐れず、達観していたという。
「水木さんはよくこう言っていたんです。“自分自身が自分を運転してるわけじゃない”って。この世には見えない力があって、それに引っ張られて生きていけばいいんだと」(水木さんの知人)
物欲もなく質素で、精神の充足を大切にしていた。「金があると邪心が生まれ、見えない力が逃げていく」。そう言って、若者には貧乏生活をすすめていたという。そんな水木さんは生前、『幸福の七か条』をまとめていた。
第一条 成功や栄誉や勝ち負けを目的に、ことを行ってはいけない。
第二条 しないではいられないことをし続けなさい。
第三条 他人との比較ではない、あくまで自分の楽しさを追及すべし。
第四条 「好き」の力を信じる。
第五条 才能と収入は別、努力は人を裏切ると心得よ。
第六条 怠け者になりなさい。
第七条 目に見えない世界を信じる。
※女性セブン2015年12月17日号