「ID野球」で知られる野村克也氏は、南海の選手兼任監督を経て、弱小球団だったヤクルトを日本一に導き、その後も阪神、楽天の監督を務めあげ「智将」と称された。そんな野村氏は、今の監督たちには欠けていることがあると指摘する。野村氏が語る。
* * *
「監督にはコーチ経験を経てから就任したほうがいいのか」と聞かれることがある。可能ならば経験したほうがいいだろう。選手からいきなり監督になると、当然ながら指導者としての経験がないから戸惑うことが多い。かくいう私も、南海では兼任監督としていきなり監督になったから、その気持ちはよくわかる。
だから私は兼任監督を引き受ける条件として、ヘッドコーチにドン・ブレイザーをつけることを要求した。メジャーの戦術にも造詣の深かったブレイザーは期待通り、私を的確にサポートしてくれた。今回の新人監督たちにも、こうした試合を任せられるヘッドコーチが必要だと思う。
その際は、当時のブレイザーのように、野球の本質を理解しているコーチであることが不可欠だ。
最近は指導者の質が低下しているせいか、どのチームも判で押したような戦い方をしている。ノーアウトでランナーが出ると必ずバント。決まったタイミングでリリーフが出てきて終了。こうなれば次の交代は誰、この打者へのサインは何と、素人が考えてもわかる展開になる。こうした戦い方を「アホ采配」という。
近年は「勝利の方程式」などという決まり文句を使うが、私はこの言葉が一番気に入らない。勝負事に方程式などあるはずがないし、あると考えること自体、馬鹿げている。マスコミの責任も大きいが、それを鵜呑みにする監督がいるから、野球を型にはめてしまい、勝負の醍醐味を失わせていることに気が付いていないのだ。
監督に創意工夫がないために、選手も考える野球ができなくなっている。これでは、野球はますますつまらなくなってしまう。
かつて予想が当たらないものは3つあるといわれてきた。天気、経済、野球である。現在では天気予報の精度が上がり、経済の予測もそれなりに当たることもあるが、野球の試合の結果だけは今も誰にも予測できない。
野球は筋書きのないドラマ。弱者が強者を倒せるスポーツ。新監督たちには、ぜひこの野球の醍醐味を取り戻してもらいたい。お手並み拝見といきたいところだ。
※週刊ポスト2016年1月1・8日号