「年越し」に食べるのは蕎麦に限らず、また大晦日だけのものではない。食文化に詳しい編集・ライターの松浦達也氏が解説する。
* * *
NEWSポストセブンの読者のみなさま。あけましておめでとうございます。本年も拙文とおつきあいいただけますよう、どうぞよろしくお願いいたします。
という書き出しは、もう各所でご覧になっていると思うのでほどほどにしまして、本日の本題は「年越しそば・うどん」にまつわるお話です。
「おいおい。年末に年越しそばは食べちゃってるし、次に食べるのは、今年の年末。ほとんど1年先じゃないか。しかも、うどんって? 『年明けうどん』なら最近ときどき耳にするけど」
そう思われる向きも多いかもしれません。しかし例えば讃岐うどんで知られる、香川県では年を越すにあたって、蕎麦とうどんの両方を打つ地域が多かったようですし、なかには、小豆島のようにうどんで年を越す地域もありました。ほかにも愛知県の小麦どころ、東三河(現在の豊橋市)なども、100年ほど前までは「年越し」と言えばうどんだったそうです。
さかのぼってみると、各地方や家ごとに風習もまちまちだったようで、江戸時代後期の下級武士の日記には、「桑名では大晦日に蕎麦屋に行くのに、越後柏崎にはその習慣がない」とあったり、実は江戸時代の頃には大晦日ではなく節分に食べる蕎麦を指して、「年越し」と呼んでいた のだとか。1958年に刊行された「飲食事典」(本山荻舟)では「としごし(年越)」は次のように記載されています。
「一年の末日すなわち除夜の行事であるが、節分の夜をも年越というのは冬の果てる意味である。その他正月六日を六日年越、十四日を十四日年越とするところもあるが(中略)、当夜は家内打ち揃って膳につき、或いは酒肴を整え、また蕎麦切を食いなどして、過ぎし一年の果てを祝し、来る初春の幸福を迎える(中略)。本意は粗食症例にあると解され、節分の門戸に切り落とした鰯の頭を柊の小枝に貫いて挿すのも、同じ寓意であろう。蕎麦切りは旧年の積穢を去り、五臓の停滞を除くとの意である」
実際、先の越後柏崎(新潟)や東北地方では、麺類ではなく、塩干魚で白米や麦飯での年越しだったと言います。年越しの流儀が、全国的に「蕎麦」に収れんしていったのは、実は戦後になってからの話なのだそうです。
家族そろって食卓につき、行く一年と来る一年を祝うのが、本来の年越し。「思い立ったが吉日」ということわざもあることですし、思うような形で新年を迎えることができなかったという方も、新しい気持ちで”新年”を迎える機会は、節分までの間にまだまだあります。そう考えれば、気分も晴れやかになるのではないでしょうか。ともあれ、本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。