東京都新宿区、新宿職安通りからJR新大久保駅にかけての界隈は、「韓流の聖地」として、あるいはヘイトスピーチに荒らされた街として、全国的に知られている。しかしなぜ、韓流の街が誕生したのか。その歴史を写真とともに綴る。
* * *
このエリアには元々、アジアなどの留学生が多く住んでいた。狭い路地が入り組んでいるため1980年代のバブル期にも再開発が進まず、古い安アパートが残っていたからだ。
そして、ここにいくつかのきっかけが重なったことで、街は大きく変貌する。20年近くに亘り新宿の街を撮り続けてきた韓国人カメラマンの権徹氏は、「警察と入管が2003年から展開した歌舞伎町浄化作戦が最初のきっかけになった」と話す。
「もともとコリアンタウンは、歌舞伎町の中にあったんですよ。高級韓国クラブを取り巻くように、韓国系の料理店やスナックが軒を連ねていた」
1990年代、留学や出稼ぎで日本に渡って来たニューカマーの韓国人の多くは、息を潜めて日本で暮らしていた。日韓の経済力の差が大きかったこの時代、若い女性は韓国クラブでホステスとして働き、男性らは海賊版ビデオの販売に精を出すなど、在留資格に違反する商売に少なからずタッチしていたからだ。
そんな雰囲気を変えたのが、2002年の日韓サッカーW杯だった。揃いの赤いTシャツを着た韓国人の若者が新宿職安通りを埋め尽くし、代表チームの4強躍進に熱狂。その様が、日本のメディアでも大きく取り上げられたのだ。
「あのとき、日本在住の韓国人は初めて自分を主張したんです。中でも歌舞伎町の商売人たちは、店を大きく豪華にするなどしてどんどん表に出てきた。ところが、そのおかげで入管の主要なターゲットになり、歌舞伎町から追い立てられて、大勢の商売人が新大久保へ流れたのです」(権氏)
しかしこうした出来事があったために、コリアンタウンはポジティブな変化を遂げる。
「デートクラブなどの違法営業店が淘汰され、飲食業をはじめ健全なビジネスが主流になったのです」(同)