〈断捨離が流行り、終活という言葉が世を席巻しているが、その前に、今、このときをより豊かに暮らしたいと望む女性がいて、愛情も物質も地位も名誉もほしがったとしても、誰が非難出来るだろうか〉
ノンフィクション作家・工藤美代子さんは、話題の新著『後妻白書 幸せをさがす女たち』で「後妻という生き方」を選んだ女性たちに、そうエールを送った。翻って私たちは、来たる老後にどんなイメージを持っているだろう。ただ楽観するのでも、ましてや悲観するのでもなく、不確定要素が多いことを覚悟しながら、それでも上を向いて、明るく幸せな未来を描きたい。離婚、乳がん手術などの経験を経てきた、タレント・エッセイスト麻木久仁子さんが、女の老後について語る。
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一昨年の暮れから、78才の母、私、そして来年大学を卒業する娘とで3人暮らしをしています。
きっかけは母の病気。それまで母は「ひとりが気楽でいい」の一点張りだったんですが、母が心臓の病気を患った後は私が心配になってしまって、「面倒を見るとか引き取るということではなくて、自立した3人がシェアハウスみたいに暮らすということで、どう?」と提案したんです。
それならばということで来てくれ、女3世代のシェアハウスがスタート。もともと母の家と、私と娘が暮らす家は近距離で、娘は小さい頃から週3回は祖母にあたる母の世話になっていたから、そんなに違和感はないんです。
暮らしてみると、案外気楽なんですよ。物理的にも家事の負担が減って楽になりました。3人が3人とも自由で、お互いに干渉しないからうっとうしいこともない。
みなアレしろコレしろと言わないし、「どこ行くの?」ともいちいち聞かない。一応、安否確認のため帰る時間だけは聞きますけど、それだけ。それぞれが身の回りのことは一通りできるので、自由でいられるのでしょう。
これが、1人でも家事のできない人がいたり、「ご飯はママが作ってくれなきゃ困る」という立場に置かれていたら、全然違っていたでしょうね。
ただし、こうして女3人が自由気楽に暮らす日々も、そう長くないと思います。仮に明日、娘が出ていくと言ったら笑顔で「いってらっしゃい」と言いたいし、母が倒れて介護が必要になれば受け入れたい。それが本当の「自立」だと思っています。
私自身いつひとりになるかもわからない。そのときエネルギーになるのは、今こうして笑って暮らしている日々なのだろうと思いながら、いつでも変化に対応できるように、心構えはしています。
※女性セブン2016年4月21日号