いまのようにアイドルがネットで情報を発信することも握手会で触れ合うこともなかった時代に、気になる彼女の“素顔”を教えてくれたのは「雑誌」だった。とりわけ数多くの人気アイドルを輩出したのが、『BOMB!』と『Momoco』(ともに学研刊)の“姉妹誌”だった。
『Momoco』は『BOMB!』の姉妹誌として1983年11月に創刊された。『Momoco』で副編集長を務めた鎌田孝一氏が創刊当時を振り返る。
「『BOMB!』は判型が小さかった(A5判)ので、誌面のインパクトを求めてA4変形の『Momoco』を立ち上げた。天才と呼ばれた『BOMB!』の木下一夫編集長が『Momoco』の創刊編集長を兼任していた」
『Momoco』の看板アイドルといえば名前が同じ菊池桃子だが、実は誌名とは全く関係なかったのだという。
「学研で『SanSun』というファッション誌が創刊されるにあたって、『Momoco』も誌名の候補にあった。我々も『BOMB!』の姉妹誌を作ることが決まっていたので、その名前を貰ったんです。
ちょうどその時、デビューを控えた桃子の売り込みが偶然にも重なり、『名前も同じだし良いじゃないか』という編集長の鶴の一声で彼女を看板として売り出した。天才編集者と100年に1人のアイドルの出会いが生んだ奇跡だった。桃子は雑誌を愛してくれていたから、冬の寒い撮影でも文句1つ言わず笑顔で対応してくれた。僕らもみんな彼女が好きでした」(同前)
『Momoco』の読者層は、『BOMB!』よりやや上の大学生以上が主だった。同誌の人気企画は、全国の美少女を探し歩いて誌面で紹介する「Momocoクラブ」だ。
「ここまで大々的に素人女性を取り上げる雑誌は他にはなく、全国から応募があった。出張費をかけまくって会いに行っていました」(同前)
その「Momocoクラブ」からは西村知美、酒井法子、杉浦幸、将棋棋士の羽生善治名人の妻になった畠田理恵ら錚々たる面々が羽ばたいた。
アイドルへの直球インタビューも人気を博した。“中学生の妄想”的な質問が多かった『BOMB!』に比べ、登場するアイドルの年齢も少し高めの『Momoco』は、さらに“生々しい”インタビューで攻めた。その中に、ブレイク前の山口智子に敢行した衝撃のインタビューがある。