日本において、女性が参政権を得てから70年。戦前しいたげられてきた女性たちは、どんな生活を送っていたのか? 古い家父長制の下で滅私奉公を強いられた女性たちの中には、戦後、家を飛び出す人も少なくなかったという。瀬戸内寂聴さん(93才)もその1人だ。
瀬戸内さんは20才の頃に結婚したが、1946年、夫の教え子の青年と恋に落ち、4才の娘を残して家を出た。
「もうとにかく頭から不貞と言われて、不倫なんて許されない時代でしたから、それは茨の道でした。しかも私の恋はプラトニックだったのですよ。誰も信じてくれなかったけれど。
若かったから、こたえなかった。これが自由なんだという実感がありました。私の大学の先輩でもあった天光光さんも、後にスキャンダルが発覚しても堂々としていて、男女同権の世になったということを、身をもって示してくれました」
平塚らいてうが明治44年に女性の権利と自由を求めて『青鞜』を創刊してから35年、ようやく実現した制度の中で、当選した佐藤きよ子さん(97才)らは女性議員連盟を結成した。牛乳を値上げしようとする政府に反対し、返す刀で連合軍総司令部のダグラス・マッカーサー長官に食糧援助を陳情した。ひたすらに食べることを求めた時代だった。
「背の高いマッカーサーの横腹に抱きつき、“食べ物がなく、幼い子供がお腹を空かせています。どうか助けてください”と懇願したら、大量の食糧を援助してくれました」
今では当時の女性議員で唯一の存命者となった佐藤さんが遠い目で振り返る。佐藤さんたちの訴えは確かに国に届き、そして70年後の私たちは飢えと無縁の生活を送っている。瀬戸内さんはこう話した。
「私たちは苦労したけど、それは決して無駄ではなかったと思うの。今の女性たちは離婚をしても、ちゃんと仕事をして、ひとりで子供を育てている人も多いでしょう。それは私の時代にはできなかったこと。私には娘を連れて家を出るなんて選択肢はありませんでしたから。時代は確実にいい方に変わっていますよ」
だからこそ知りたい。私たちは今、どんな時代に生きているのか、“あの時代”に戻さないために何をすべきなのか…先輩女性たちの歩みの中に、未来を変えるヒントがあることを信じて。
※女性セブン2016年5月12・19日号