女性が参政権を得てから70年、私たちは政治に何を求め、社会はどう変わったのか。日本の明日と女性の幸福について、今夏の参院選挙を前に考えたい。
女性が大きな力を持ったエポックメイキングな選挙は、1989年7月の参議院議員選挙だ。この時、社会党の土井たか子党首は「やるっきゃない」とハッパをかけ、12人の女性新人候補者を送り込んだ。有権者の圧倒的な支持を受けた女性候補者は22人が当選し、6~7%台で推移していた当選者に占める女性比率は17.5%に急増。マドンナブームとなった。
当時、選挙戦を取材していたキャスターで女性議員の研究もしている安藤優子さん(57才)はこう振り返る。
「“新しい政治”への期待に社会党が応えられなかった。女性票をベースにした党にリニューアルすべきだったのに、党の窮地を救った土井さんやマドンナを“用済み”扱いにして、旧態依然の男性中心的な政党に戻ってしまった。だからその後、山は動かなくなったんです。そうしてまた女性たちは政治に落胆を味わって、2000年代は女性政策の停滞時期に入っていきます」
そこには、日本社会に根強く残っている男女の役割分担論も横たわっているのではないかと安藤さんは指摘する。
「女性が家庭を守るという女性の役割を越えて仕事をしようとする時、それは政界でも民間組織の中でもそうですが、かつては男性に同化しないといけなかったんです。私自身、報道の仕事をずっとしてきた中で、おじさんのように振る舞って女性性を封印しなければ、自分ができることを証明できなかった。でも今になってみれば、それは旧態依然の男女役割論を肯定するもので、間違いだったとわかります」
確かに安藤さんの言うように、女性議員たちが男性化したなら、それは女性である必要はないだろう。女性たちはそれを敏感に感じ取り、女性議員を求めなくなったとすれば、必然だったのかもしれない。
安藤さんは指摘する。
「政治学の研究によると、女性議員と男性議員の政策志向は異なります。女性議員は女性に関する政策に熱心に取り組む傾向が強く、女性の権利、生殖、健康、子育て・介護などのケア責任、女性に対する暴力などの政策に携わる。女性議員が増加すれば、待機児童問題をはじめとした、世にある多くの課題が解決に向けて前進するんです」
※女性セブン2016年5月12・19日号