横浜の下町にある横浜橋通商店街(神奈川県)は360mほどのアーケードに、鮮魚店、精肉店、青果店や電器店など約140店舗が連なっている。活気あふれるこの商店街の名誉顧問は桂歌丸(79才)。あちらこちらに歌丸のイラストが描かれたエンブレムが飾られている。
爽やかな新緑の風が吹くある日の夕方、その女性はいつものように買い物をしていた。行く先々の店で顔なじみの店主と話し込み、通りすがりの地元住民とも挨拶を交わす。
彼女もまた、この商店街では知らぬ者はいない。黒のパンツにピンクのロングベスト、同じくピンク色のレンズのめがねをかけ、背中をピンと伸ばし、ゆっくりとした足取りで買い物をしていた彼女は、歌丸の妻・冨士子さん(84才)だった。
5月15日に放送50周年を迎えた『笑点』(日本テレビ系)。番組開始からの出演者であり、2006年5月に5代目大喜利司会に就任した歌丸は、5月22日の生放送を最後に、同番組を卒業する。
そしてこの卒業は、冨士子さんにとっても感慨深いものだ。歌丸との結婚生活は、『笑点』とともにあったから…。
「おかげさまであちこちからお声をかけていただいたり、お電話もいただいたり。でも私がやる(卒業する)わけじゃないですから。それに私は表に出る人間じゃないので…」
そう言うと、ふと口をつぐんだが、冨士子さんはその日を前に、夫へのあふれる思いを語ってくれた。生粋のハマっ子だった歌丸と冨士子さんは、ご近所同士が縁で結ばれ、来年結婚60年の、ダイヤモンド婚式を迎える。
結婚当初、歌丸は駆け出しの噺家で、大げさではなく10円にも困る生活だった。年中電気や水道が止められ、質屋通いも日常茶飯事。おまけに当時の師匠との関係がこじれにこじれ、小さな子供2人を食べさせるために、一時は化粧品のセールスをしていたこともあった。
そんな生活が安定したのはようやく1966年に『笑点』がスタートしてからだった。結婚して9年ほどの頃だ。
「私はね、これまで一度も『笑点』も高座も、見に行ったことがないの。だからお父さんがしゃべってるのは(自室がある自宅の)3階で、用があってちょこっと上がった時に聞こえるくらいです。カミさんは家にいるもので、仕事場には一切顔を出さないものだっていうのがお父さんの考えで。古いのよ。でも、私もそう思ってたから行かなかった」(冨士子さん、以下「」内同)
『笑点』ファンにとって、冨士子さんは“鬼嫁”として知られてきた。というのも、歌丸がよく「あのクソババア」と言って悪口を言うからだ。現場には行かなくとも、オンエアをチェックしていた冨士子さんは、当然そのことを知っている。
「“よく平気でいられるわね”って言われることもあるんだけど、でもネタですから。近所の人とかもみんな知っているから、なんとも思いませんよ。あははははは」
冨士子さんがそう豪快に笑い飛ばすのは、誰より夫の気持ちを知っているからだろう。
※女性セブン2016年6月2日号