日本のプロスポーツで最も人気が高いプロ野球において“球界の盟主”と呼ばれるのが読売ジャイアンツ。選手時代、常に注目され続けた“元巨人戦士”たちは、第2の人生をどう過ごしているのか?
1995年の新人時代に3完封を含む8勝を挙げ、2002年には抑えのエースとして日本一に貢献した河原純一(43)は意外な心境を告白する。
「プロ野球選手が、僕に本当に一番向いた職業だったのか今も疑問に思っています」
西武、中日、独立リーグの愛媛と渡り歩き、昨年限りで引退した河原は、今年から「愛媛マンダリンパイレーツ」の運営を行なう広告会社「星企画」に入社。サラリーマンになってから初めて、パソコンを使う時の指の位置や打ち方などを教わり、野球事業の計画書を作成したり、営業に出向いたりしている。
「小さい頃からプロ野球選手になりたいとは一度も思わず、会社員になりたかったんです。規則正しいリズムの生活に憧れていました。野球の世界はナイターもあればデーゲームもある。新幹線や飛行機での移動も本当に嫌でした。野球選手として致命的ですよね」
逆指名で巨人に入団しても、河原が浮かれることはなかった。高級時計を身に付けることもなければ、外で派手に飲み歩くこともなく、30代になっても寮生活を続けた。契約金で「人生で一番高い買い物」という1000万円以上のベンツを買ったが、10年以上乗った。中日移籍後は自転車で球場に通い、愛媛在住の今も車は持っていない。
「引退後に金銭感覚を元に戻せないのは良くないという思いもありました。プロ野球の世界は特殊ですから」
普通の生活を求めた男は、巨人時代の入団1年目にスピード離婚問題で大きく騒がれた。当時、バッシングをどう受け止めていたのか。
「それも含めて、巨人の選手ですよね。精神的に強くならないとやっていけない。そうして鍛えられたこともあり、やっぱり、僕は巨人に行って良かったと思っています」
(文中敬称略)
■取材・文/岡野誠 ■撮影/藤岡雅樹
※週刊ポスト2016年5月27日号