天皇陛下が「生前退位」のご意向を示されたと報じられたが、それに付随して、さまざまな疑問が生じてくる。今回の件に先立ち、皇室の未来に、両陛下は大きな不安も抱えられていた。
「1969年に紀宮さま(黒田清子さん)がお生まれになってから、2001年に愛子さまが誕生されるまで、皇室には連続して9人の女子が誕生しました。皇室典範では、皇族女性は結婚をすると皇籍を離脱すると規定されていますから、皇族の数が減少していく未来は避けられない。両陛下は、このまま減少に歯止めがかからなければ、皇室としての活動を維持することが難しくなってしまうと不安を感じていらっしゃるのです」(皇室ジャーナリスト)
2005年1月、当時の小泉純一郎首相(74才)は、『皇室典範に関する有識者会議』を立ち上げた。議論の中心は「女性・女系天皇」に関するもの。つまり、天皇の位につける皇族の裾野を広げようとする議論だった。
そんな矢先の2006年、悠仁さまがお生まれになった。現状の皇室典範のままでも両陛下の孫世代までは皇統が継がれることになり、ひとまず皇位継承問題は解決したかに見えた一方、次に噴出したのは、悠仁さまがいざ即位されたとき、周囲で悠仁さまを支える皇族方がいないという問題だった。
そこで議論されたのが、愛子さまや眞子さま、佳子さまなど、悠仁さまと同世代の女性皇族に宮家創設を認めようとする動きだった。「女性宮家」とは、一般男性と結婚してもその女性皇族が宮家の当主として皇室に残ることができるというもの。当時の野田佳彦首相(59才)のもと、議論は推し進められ、2012年10月には皇室典範改正へ向けた論点整理が発表された。
しかしそれからたった2か月後――
《皇位継承は男系男子という私の方針は変わらない。野田政権でやったことは白紙にする》
2度目の就任を果たしたばかりの安倍首相が、インタビューでこう表明したのだ。その撤回の理由を、「女性宮家を認めてしまえば、将来女系天皇が誕生する可能性が高い」と説明した。
「公務を果たせるだけの皇族の人数を確保し、皇位を円滑に継承できるようにするという、両陛下の思いは2度とも果たされませんでした。安倍首相は、今でも皇室典範の改正には消極的です。
しかし、今回の生前退位が国民的議論になれば当然、皇室典範の改正も話し合われることになる。女性宮家や女性・女系天皇の議論も同時に進むのではないかと思います」(前出・皇室ジャーナリスト)
日本政治思想史を研究する放送大学教授の原武史氏は次のように推察する。
「現在の天皇制は、天皇を神格化した明治以降の精神を引き継いでいるように感じられます。そして、平成になった今でもその要素は消えていないと思えます。
生前退位の意向は、昭和天皇も日本が敗戦後、同じように漏らしていました。しかし、GHQが退位を認めなかった。敗戦後に憲法は改正されましたが、明治に作られた旧皇室典範と戦後にできた皇室典範の間には強い連続性があります。陛下はそこにメスを入れ、江戸以前の長い歴史を踏まえた、明治以降とは異なる皇室にしなければならないという意識を持っている気がするのです」
撮影■雑誌協会代表取材
※女性セブン2016年8月4日号