後味の悪い読後感だけど、その後、思わず他人にいいたくなること間違いなし! いつもは「知っておくべき情報」をお届けする本誌が、今回に限り「知らないほうが幸せだったかもしれない」歴史の雑学を取材しました。
●板垣退助の「板垣死すとも自由は死せず」は「側近が言った言葉」
「『板垣死すとも~』は当時、板垣が遺したとされる言葉を側近が新聞に伝えたもの。後に側近の内藤魯一が『あれは俺の言葉だが、板垣が言ったことにしたほうが輝くと思ったのでそうした』と暴露している」(多摩大学客員教授の河合敦氏)
●加藤清正はイボ痔持ちでトイレから部下に指示を出していた
『真田丸』では豪快なキャラとして描かれている加藤清正だが、歴史書『当代記』によれば腎臓を病んでいた。「合併症でイボ痔に悩まされており、トイレに籠もる時間が長かった。そのためトイレまで家臣を呼び寄せて指示をだしていたといいます」(歴史作家の井手窪剛氏)
●日銀総裁を務めた元首相・高橋是清は2度も自己破産した
1927年の金融恐慌を財政政策で立て直した日銀総裁や首相を務めた高橋是清。『高橋是清自伝』によれば、若い頃に悪友の誘いで銀相場に投資し破産。その後、初代特許局長時代にも廃抗寸前のペルーの銀山を買わされ破産し、職も失った。
●水戸黄門の全国行脚はせいぜい東京~鎌倉間
世直しのために全国行脚する人気ドラマ『水戸黄門』で知られる徳川光圀はかなり多忙で、「江戸時代に残された『甲寅紀行』によれば、祖母の墓参りなどを理由に鎌倉に出向いたことなどが記されており、これが最大の遠出だといわれている」(多摩大学客員教授の河合敦氏)。
●戦国武将が乗っていた馬はサラブレッドではなくポニー
体高(地上から馬の背中の人がまたがる部分までの高さ)が147センチ以下の馬をポニーと呼ぶ。戦国時代の日本馬は体高が140センチ程度で足が短かったが、スタミナがあり、山や谷でも長時間走ることができた。
●ナポレオンは1日8時間グッスリ寝ていた
フランスの皇帝・ナポレオンの秘書官、ブーリエンヌの回想録によれば、「宮廷の晩餐会を終え、深夜0時ごろ就寝。朝7時に起こすように頼まれていたが、なかなか起きないことが結構あった」という。その場合には「8時にまた起こすことにしていた」。
※週刊ポスト2016年8月12日号