中華人民共和国の建国を指導した毛沢東の遺体が安置されている毛沢東紀念堂が北京中心部の天安門広場から毛沢東の生誕の地である湖南省韶山市に移転することが分かった。香港の月刊誌「争鳴」が報じた。これは「個人崇拝を禁じるべきだ」と主張する習近平国家主席の強い意向が働いているが、逆に、習氏への権力一極集中を招くことも考えられる。
同誌によると、中国では1980年代以降の改革・開放路線の進展により、毛沢東の評価が変化し、個人崇拝を嫌う傾向も高まっており、紀念堂の移転や廃止が取りざたされてきたという。
今年3月の全国人民代表大会(全人代=国会に相当)でも、20人以上の委員が紀念堂移転を提案。これを重視した習氏が党政治局会議で討議した結果、党政治局員25人中、賛成は23人で、棄権が2人、反対ゼロで可決された。
習氏は移転の時期について、「すでに決定されたからには、速やかに実行したい」などと述べており、早ければ来年にも移転されるとの情報も出ている。
毛沢東紀念堂は毛沢東死去1周年の1977年9月に落成されて以来、中国各地からの観光客らのために、防腐処理された遺体を観覧できるようになっている。
今年9月9日は毛沢東死去40周年に当たることから、紀念堂では開館から閉館まで見学者が長い列を作っていたほか、献花する人も見られた。だが、中央政府による大規模な記念行事は実施されず、中国の主要メディアも毛沢東については触れなかった。
北京の外交筋は「これは、中国内にはいまだに毛沢東の評価をめぐって、意見が分かれており、党内で40周年記念日を祝うことは党内の論争を激化させる可能性があるためではないか」と指摘している。
ネット上でも、毛沢東については「建国の英雄」と評価する声がある一方、「文化大革命で多くの国民を殺した犯罪者」との書き込みもあり、死後40年が経った今も、毛沢東の評価は定まっていないようだ。