戦後に設立された神社本庁は、当初から現在に至るまで皇室と切っても切れない密接な関係を築いてきた。そしていま、皇室と神社本庁は歴史の岐路に立たされている。
8月に天皇陛下が「象徴としてのお務めについてのお言葉」を発せられた。「生前退位」による皇位継承問題で皇室典範改正が議論されるとともに、一部では女系天皇論も熱を帯びている。
皇統をめぐる男系・女系論は2006年に悠仁親王が誕生される直前にも議論されていた。神社本庁は、小泉政権下で皇室典範改正に揺れた2005年、総理に提出された有識者会議報告書に真正面から反対し、「皇室典範改正問題に関する神社本庁の基本見解」で明確に男系維持の主張を表明した。
〈皇位は、百二十五代にわたって一つの例外もなく男系により継承されており、天皇を中心に国家・社会の安寧と秩序が保たれてきた。この歴史的な重みは、現今での「制度的安定」を主たる理由として軽々に斥けられてよいものではない〉
また、皇位継承権のある男性皇族が存在する中で、危機感を強調し継承資格を拡大する議論を「拙速」とし、男系の伝統保持に努力すべしとした。さらにそのためには、有識者会議では困難とされた「旧皇族の皇籍復帰等の方策」を「広範かつ具体的に検討することが改めて必要であると考える」としている。
一方で、当時神社本庁の統理を務めていた、久邇邦昭氏(今上天皇の従兄弟)は退任後の著書『少年皇族の見た戦争』(PHP研究所)の中で〈私個人が兎や角言うことではなかろう〉としながらも、こう述べている。
〈近頃、旧皇族をまた皇籍に戻すべきだという意見もあるようだが、私はこれについては、「何を今さら」というのが正直なところ本心だ。(中略)これを今さら、皇籍に復して国民の貴重な税金をいただくのには拒否反応がある〉
ある識者は、「神社本庁の幹部には皇室をなによりも大切に考えてきたという自負があるのでしょう。紀元節回復運動や元号法制化(*注)は神社本庁に拠るところが大きかった功績として挙げられます」とした上で、皇位継承に関わる問題では、「今上陛下ならびに皇室、旧皇族の方々のご意向をどこまで考慮しているのか、疑問に思う点はある」と語る。 こうした大きな問題はあるものの、今後も神社本庁と皇室は密接な関係であり続けることに変わりはないだろう。
【*注/GHQの方針で廃止された紀元節(神武天皇即位の日)の回復運動では神社本庁に本部が置かれ、1966年に「建国記念の日」として復活した。元号法は日本国憲法下で条文が消失していたが、神社本庁を母体とする「神道政治連盟」や「日本を守る会」の活動が発端となり法制化された】
※SAPIO2016年11月号