現在、朴槿恵大統領の退陣を求めるデモが頻発している韓国は、家族的な「情」に政治が翻弄されやすい国民性と、政治から情を排除しなければならないという近代国家の建て前の狭間で苦しみ続けてきた。韓国のほとんどの歴代大統領が家族の問題で失脚しているのは、その良い証拠だ。
朴正煕夫人が亡くなり、崔順実スキャンダルの萌芽が芽生えた1974年、日本でも“情と政治”をめぐる一つの事件が起きていた。田中角栄首相のスキャンダルである。
その年の10月に月刊『文藝春秋』に掲載された「田中角栄研究」と「淋しき越山会の女王」という2つのレポートは、田中ファミリー企業の資産形成と、政治団体・越山会の女王と呼ばれた秘書・佐藤昭子氏との愛人関係を暴き、権勢を誇った田中首相の退陣に繋がった。
その40年前の日本と今の韓国が「重なる」と言うのは、元朝日新聞ソウル特派員でジャーナリストの前川惠司氏である。
「今回の韓国の100万人デモの光景を見ていて、駆け出し記者時代に取材していた田中角栄時代のメーデーを思い出しました。あの頃、田中政治の批判の場になったメーデーも100万人規模で、家族連れもいて、プラカードや旗をもってデモをするというのも今回と似ていた。
そして何より、田中角栄のスキャンダルと朴槿恵のスキャンダルがともに近しい人物との関係によって引き起こされてしまったことが同じ構図。つまり韓国では40年前の日本と同じことがいまだに繰り広げられているのです」
日本では田中政治への反省から、良くも悪くも政治から情が失われたと言われる。だからこそ日本人の目には、韓国政治が極めて旧態依然としたものに映ってしまうのだ。前川氏が続ける。
「朴氏の政治姿勢が民主主義に反していたのはもちろんですが、実はデモに参加する側も民主主義をいまだに理解していない。子連れの参加者には『子供たちにこれが民主主義だと見せたい』という人が多いようですが、選挙で選ばれたはずの大統領に決定を負託できない、つまり民主主義が機能していないからデモが起こっているのに、そのことを勘違いしてしまっている。
今回のデモにしても反日感情にしても、韓国中が一色に染まり、それが絶対正義になって異論が許されなくなる。むしろ多様な価値観で相対化されることが民主主義であることに気づかないといけない」
そうした国民性が変わらない限り、一時的に「日本に見習え」論が出たとしても、結局はまた反日に戻ってしまうのではないか。
※週刊ポスト2016年12月16日号