かつて「愛国教団」とも呼ばれ、保守系市民団体「日本会議」の源流の一つにもなったとされる生長の家。昨年の参院選では安保法政にともなう憲法解釈の変更、原発政策を巡り「与党とその候補を支持しない」方針を打ち出した。ジャーナリストの小川寛大氏が、谷口雅宣・生長の家総裁(65)に、なぜ反安倍政権の立場を明確にしたのか聞いた。
──生長の家は、かつて「日の丸か赤旗か」といった反共スローガンを掲げ、保守の立場だった。しかし昨年の参院選では「与党を支持しない」との声明を発表。反安倍政権の立場を明確にしている。
谷口:現在の政権与党は原発再稼動を推進し、また海外に向け緊張を高めており、立憲主義の破壊という点で、とても同調できるものではありません。生長の家は1983年に政治運動から撤退して以降、この種の態度表明を行ってきませんでしたが、さすがに声を上げるべきだと感じたのです。
──かつて明治憲法の復元を訴えていたが、それは撤回したのか。
谷口:生長の家が過去、明治憲法復元を訴えていたのは事実です。それは冷戦という時代背景、また日米安保のあり方などをめぐり国論がまさに二分されていた時に主張していたことで、生長の家にとっても特殊な時代の主張だったと思います。しかし、もう時代が違う。特に現在では“左右の対立”など存在しないでしょう。共産主義はとっくに崩壊しました。
──時代が変わり、改憲は不要になったと?
谷口:われわれは決して改憲を否定していません。きちんとした議論や手続きを経て、戦前のような軍部の暴走を止める仕組みを作るのであれば、自衛隊を軍隊として認めることもありなのではないかと。ただ現在の政権が行おうとしていることは『アメリカに言われたから地球の裏側にも自衛隊を派遣します』といった話です。国民無視で立憲主義に反します。
──総裁が誰であるかは教団の方針に大きな影響を与える。“次世代”をどう考えるのか。
谷口:後継者については毎日考えています。世襲にこだわるつもりもありません。ただ、現代史をきちんと勉強した人間に継いでほしい。学校で教えないのも悪いのですが、今の若い人は現代史に弱いから、自分の都合のいいように歴史解釈をする人が出てくる。それが現代社会に混迷をもたらしている一因だと思います。
●たにぐち・まさのぶ/1951年東京都生まれ。第2代総裁、谷口清超の次男。青山学院大学法学部卒業後に渡米。コロンビア大学大学院で国際関係論を学ぶ。同大学院修了後、産経新聞記者を経て1990年に生長の家副総裁に就任。日本国内にとどまらず、海外でも積極的に生長の家の教えを宣布し、教団の国際化に尽力した。清超の死去に伴い、2009年3月に第3代総裁就任。
【生長の家】1930年創設。初代総裁は谷口雅春。神道、仏教、キリスト教など諸宗教の教えに加え、近代哲学や心理学を融合させた教えが特長。戦後は「反左翼」運動を推進し政治色を強めたが、1983年に政治活動を停止。近年は宗教的理念に基づくエコロジー活動に注力する。教団が公表する信徒数は国内約52万人、国外約99万人。布教施設は国内外に440か所。(いずれも2014年12月末現在)
※SAPIO2017年3月号