米倉涼子、上戸彩、武井咲など数々のスターを輩出してきた「全日本国民的美少女コンテスト」。“第二のゴクミを探せ”をテーマに1987年に始まった同コンテストが今年、30周年を迎えた。
3年ぶりの開催となった今夏の第15回大会も応募総数8万通超と、社会的認知度が高いこの一大イベントは、どのようにして生まれたのだろうか。第1回から全大会を取材してきた『NIPPONアイドル探偵団』などの著者、北川昌弘氏が背景を解説する。
「後藤久美子が大ブレークした1980年代半ばは、玉石混淆のおニャン子クラブが席捲していた時代。そこに“美少女”という定義を時代に問いかけたのが全日本国民的美少女コンテストでした」
美少女コンテストは、「東宝シンデレラオーディション」、「ホリプロタレントスカウトキャラバン」とともに、新人を発掘する三大コンテストに数えられるが、「その瞬間に最も美しい少女を選ぶことに特化している」のが決定的な違いだと北川氏は言う。
運営するオスカープロモーションの副社長・鈴木誠司氏がスタート当時を振り返る。
「おニャン子クラブ全盛で一億総タレント化と言われた時代に、本来の正統な美少女という原点に戻そうと、後藤久美子をイメージキャラクターに据えて国民的美少女コンテストを作ったんです。選び抜かれた人たちがスターになっていく時代に戻らなければいけないという思いから生まれました」