本文に誤りを発見し、指摘の投書をしようとしたこともある。もしやと思って新しい刷(すり)を書店で確認すると、既に訂正してあってガッカリした。こういうものは一番槍でなければ意味がない。『新明解国語辞典』は読んだことはないが、サイズが手頃なので頻用している。その結果、「帯説(たいせつ)」という言葉も知った。他では『大言海』ぐらいでしか見たことはない。この『新明解』でも誤りをいくつか発見したが、新しい刷では既に訂正され、やはり一番槍を逸した。
ところが、誤りを指摘した手紙を出し、次刷で訂正しますという返事ももらっているのに、なぜか今も誤りのままになっている辞書もある。『岩波新漢語辞典』だ。
私はこの前身の『漢語辞典』で誤りに気づいた。「使」の項目に、次のようにある。
「使孔子知顔淵愈子貢則…=もし孔子、顔淵の子貢に愈(まさ)るを知らば、すなわち…〔論語〕」
出典が『論語』とあるが、『論語』中にこの章句はない。公冶長(こうやちょう)篇に、孔子が子貢に「お前と顔淵とどちらが愈(まさ)っているか」と問う一節があり、内容は似ているけれど文章が全然ちがう。あるいは『孔子家語(こうしけご)』あたりかと見当をつけて探したが見当たらない。とにかく、この出典表示は誤りだから、指摘の手紙を出した。しかし、前述のように、返事はあっても未訂正のままだ。
そういえば、中学生の頃、一冊本の百科事典を読んだこともあったが、この話はまた別の機会に。
●くれ・ともふさ/1946年生まれ。日本マンガ学会前会長。著書に『バカにつける薬』『つぎはぎ仏教入門』など多数。
※週刊ポスト2018年1月12・19日号