8月17日、女優・篠原涼子(37)の父・勝雄さんが71才で亡くなった。「父のために」と開いた5年越しの披露宴の途中に体調を崩した父は、わずか3日後、帰らぬ人となった。2才で母を亡くした涼子を、男手ひとつで育てた勝雄さんは、大スターとなった娘をどのように育ててきたのだろうか?
篠原の母親は、彼女が2才のときに交通事故で亡くなった。それ以来、男手ひとつで彼女を育てた勝雄さんは、中学生になり、歌手に憧れてオーディションを受け始めた娘を献身的にサポート。
オーディションに着ていく服は毎回必ずチェックし、脚に切り傷ができれば、「傷が残ったら芸能界にはいったときに、変な脚だっていわれちゃうから」といって、毎晩篠原の脚にクリームを塗った。履歴書も一緒に書き、貼り付ける写真も、どれがいちばんかわいく写っているかを選んだ。
そんな苦労が実り、『恋しさとせつなさと心強さと』が220万枚のメガヒットとなると、優しかった勝雄さんは、「『いい気になるなよ。いまあるのはスタッフのおかげ。感謝しなくちゃ』といつも言ってましたね」(篠原家知人)と、急に篠原に厳しく接するようになった。
しかし、地元の住民によれば 「勝雄さんは大のパチンコ好きなんですけど、涼子ちゃんの曲が大ヒットしたとき、パチンコ店でその曲が何回もかかるとうれしくなって、店中のお客さんにジュースをご馳走したこともあったんです。相当な金額でしたよ(笑い)」
といったこともあったとか。5年越しの披露宴は、娘が最愛の父に贈った最後の親孝行だったのだ。
※女性セブン2010年9月9日号