【書評】『愛と憎しみの新宿 半径一キロの日本近代史』(平井玄著・ちくま新書・819円)
※評者:与那原恵(ノンフィクションライター)
1960年代末から70年代初頭、そして現在までの新宿。それも東側半径1キロにかぎられる地区を舞台にした文化史である。ジャズ・バー、ラーメン屋、シネマテーク、書店、喫茶店「風月堂」などがひしめく地をスピード感あふれる文体で活写する。
著者は「新宿二丁目の洗濯屋の息子」としてこの街で生まれた。地方からやってくる若者ならば、意を決して鼻息荒くドアを開けたかもしれない伝説的な店も彼にとってはご近所だ。その身軽さと、大人びた街の子らしいまなざしで新宿を描いてゆく。
都立新宿高校に通い、高校全共闘の一員であったが、著者の追憶は冷めている。裕福ではなく、かといって身に沁みるような実感としての「貧困」でもない。それでも新宿一安いラーメン(それは50円のモヤシそばだ)が彼の胃袋を満たし、街を歩きまわるのだ。
当時、ジャズ喫茶、レコードだけの店、演奏する店、夜のバーをふくめて30軒もの店があったという「ジャズ世界」を中心に、さまざまな店や場、出会った人びとの生々しい姿を、音楽、映画、建築、写真などを論じながら浮かび上がらせてゆく。
新宿は1968年に宿場として生まれたときから「雑階級」の街であり、「野生の都市」として、地上ばかりでなく地下にも拡張してきた。地霊が多彩な人間をひきよせてきたのだろう。
たとえば二丁目交差点を過ぎたあたりにあった「ラシントン・パレス」という建物について語るとき〈この一帯には台湾系の人々による日本人には見えないコミュニティが埋め込まれている〉とあって、不思議なかたちをしたさびれたホテルの来歴を知った。酔った勢いで泊まったことがあるが、あのとき、ここは近いうちに消えてしまうとわかっていたし、私は新宿のある時代に間に合わなかった世代だと感じ入ったのだ。
街は〈不安な瞳〉がすれ違い、人はつぎの場所へと向かう。ヒリヒリとした痛ましさと、睦まじさが入り混じる街の熱に酔った。
※週刊ポスト2010年9月17日号