115万柱。先の大戦において海外で戦死した日本人のうち、いまだ現地に放置されたままの遺骨の数である。戦後65年経た現在も、遺族やボランティアによる懸命な遺骨収集が行なわれているが、収集できた遺骨は、海外戦没者総数の約半分に過ぎない。
遺骨収集を続ける遺族もすでに高齢を迎え、故人との再会を果たせぬままになるケースも増えている。しかし、東南アジアなどの戦地をまわり残り少ない時間を遺骨収集に傾ける人たちがいる中、その遺骨がアメリカ本土にあるとしたらどうだろうか。
しかも戦中の戦利品として、コレクションとしていまだアメリカを彷徨っているとしたら。在米ジャーナリストの武末幸繁氏がリポートする。
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敵の遺留品を持ち帰るのは日本兵もやったことだ。インパール作戦で連合軍に撃たれ、九死に一生を得た傷痍軍人である筆者の父も英軍のフォークを持ち帰っている。しかし人の頭蓋骨や遺体の一部を持ち帰った米兵がいることには驚かざるを得ない。
第2次大戦最中の1944年、5月22日付のライフ誌に女性が頭蓋骨を眺めている写真が掲載された。日本と戦っている恋人の米兵からプレゼントとして贈られた日本人の頭蓋骨を眺めている写真だ。英語でトロフィー・スカルと呼ぶが、頭蓋骨を勝利のトロフィーとして贈ったのだ。
では、それらの頭蓋骨はその後どうなったのだろうか? 荷物になるし大戦末期は持ち物検査がうるさくなったため、帰還の際、相当数が海に捨てられたともいわれる。しかし、米国内で少なからず頭蓋骨トロフィーが発見されている。最近の例を紹介する。
2003年6月、コロラド州プエブロで、警官が麻薬捜査で家宅捜索したところ、麻薬は見つからなかったが、ベッドの下から小さいトランクを発見した。
なかには人間の頭蓋骨があり、表面に「ガダルカナル」「1942年11月11日」「これはいいジャップだ」「J・パパス」などと書かれていたほか、中佐を含む36人もの軍人の寄せ書き(サイン)があった。
保安官の調べに対し、所持者であるレイモンド・フランクリン氏(当時41歳)は「これは曾祖父のジュリアス・パパスから受け継がれてきたもので、ガダルカナル島で曾祖父の親友を殺した日本兵を曾祖父が殺し、トロフィーとして持ち帰ったと聞いた」と供述。
パパス氏の姪も若い頃、同じ話を聞かされていたことが分かり、また現地の新聞、プエブロ・チーフテン紙が42年当時にこの頭蓋骨トロフィーのことを記事にしており、その話とも一致した。
パパス氏は長らく海兵隊員を務めた人物で1960年に死亡している。
※SAPIO 2010年9月29日号