戦後の復興期という激動の時代を生き抜いた女性を主人公に、家族の絆を描いて人気を呼んだ03年の朝の連続テレビ小説『てるてる家族』(NHK)。モデルとなった女優・いしだあゆみの母・久子さんが87年の生涯の幕を閉じた。パン職人の夫を盛り立てながら4人姉妹を育て上げた“肝っ玉母ちゃん”だった。
同ドラマは直木賞作家・なかにし礼さん(72)の『てるてる坊主の照子さん』(新潮社刊)が原作。いしだの育った大阪の一家をモデルに、昭和30年代の戦後の復興期を舞台に、肝っ玉母ちゃんと4姉妹の成長を涙と笑いで描いたホームコメディー。主人公の“岩田照子”のモデルがいしだの母・久子さんだ。
太平洋戦争末期、激しくなる一方の空襲のはざまに結婚式を挙げた照子。戦後、長崎・佐世保でパン職人として修業した夫は、地元・大阪に戻り、照子とともにパン店を開業する。やがて4人の女の子に恵まれた家族の、どこか懐かしい、明るくにぎやかな団らんの風景が生き生きと描かれた物語は、その9割が実話だという。
そんな夫婦が開いたパン店は、苦労の甲斐あって人気店に成長、従業員を雇わなければならないほど繁盛したという。そんななか、久子さんは街頭テレビに群がる人々を見て、ある商売を思いつく。まだ高根の花だったテレビを置いた「テレビ喫茶」だ。
なけなしの資金で準備したお店の開店前日、久子さんは本当に客がやってくるのかどうか不安いっぱいで眠ることができなかったという。前述の小説にはこうある。
《そうだ!てるてる坊主だ》
“明日いい日でありますように”という願掛けのために、小さなてるてる坊主を軒下に吊るしたのだった。
「当時はどこの家にもテレビなんてなかった。ものすごく新しい発想でしたね。私らも子供ながらに窓の外からテレビをのぞきに行きましたよ。店内はいつもお客さんでいっぱいでした」(当時を知る近所の住民)
それ以来、石田家では節目節目の大切な日には、幸運を祈っててるてる坊主が作られるようになったという。
※女性セブン9月23日号