命拾いしたご先祖たちは、“恩人”たる日本人への暴挙にさぞお怒りだろう。
1919年、中国・福建省から出航した漁船が暴風雨で遭難、尖閣諸島・魚釣島に流れ着いた。このとき、船長の郭合順ら31名は、魚釣島で事業を営む古賀善次ら島民たちに救助され、石垣島から取り寄せた貴重な食料を分け与えられて手厚く保護された。
さらに古賀は石垣島まで自前の船で漂流民を移送。石垣島民は健康管理に気遣いながら約10日間彼らの面倒を見たうえで本国へ送り返した。
その後、石垣島民に対して感謝状が贈られた。そこには中華民国総領事名で、「玉代勢孫伴君(石垣島民)は親切に救護し、故国に生還させてくれた。まことに義を見てためらわないものであり深く感服」と感謝の意が示されている。注目すべきは「日本帝国沖縄縣八重山郡尖閣列島」という記述。つまり、中国は当時、尖閣諸島が「日本帝国沖縄縣」に属することを公式に承認していたのだ。
この感謝状は古賀善次らにも贈られたが、現存するのは玉代勢氏の子息が石垣市に寄贈したもの一枚だけ。感謝状からは読み取れない漂流民たちの漂着から帰還までの詳しい経緯は、写真家の山本皓一氏が石垣市に残る古い資料の中から発見した。山本氏が語る。
「当時の日中間において尖閣諸島の“領有権”は全く問題になっていない。当時はまだ中華民国だったとはいえ、中国政府が『尖閣諸島は日本に属する』とはっきりと認めていた秘史を埋没させてはいけません」
この史実を前にしても中国政府は欺瞞を続けるか。
写真提供■山本皓一
※週刊ポスト2010年10月8日号