<歴史法廷の被告として>との副題をつけて著書『自省録』を2004年に上梓した中曽根康弘氏が、“あの日”を回顧する。(週刊ポスト2004年9月3日号より)
2003年10月、中曽根事務所を訪れた小泉純一郎・元首相が議員引退を要請する場面である。
<二人きりになると、彼はうつむいているので、私が口火を切るかたちになりました>
<彼の言葉を待ちますが、やはり小泉君は私を見ようとしない。ようやく目を合わさぬまま、口をひらきました。
「中曽根先生は、国内的にも国際的にも、どういう地位になっても、その発言や行動には皆さんが注目し、影響力があります。今後もそういう形でご活躍願いたい」
いつもの短く切れる口調で早口に、それだけでした> (『自省録』より)
「彼はそう、ここに座って……」
と、中曽根氏は自らの右手のソファに目を遣った。
「顔を上げようともしなかったな。彼だけでなく最近の政治家に言葉への執念があるのかどうか、他人のことは知らないけれど、歴史観と宗教性が足りないという気はします。宗教性といっても何か特定の信仰ではなく、もっと大きな、見えざるものを畏れること。それを歴史肯定といってもいいが、そうした歴史観や宗教性なき政治家には、カリスマ性も重みもない」
その畏れが『自省録』であり「歴史法廷の被告として」という問題なのだろう。