政治には、大きな舵取りと小さな舵取りが必要とされる。無秩序を標榜するテロが世界を覆う今、秩序と未来ある国家像を国民に見せてこそ政治ではないか。中曽根康弘・元首相と石原慎太郎・東京都知事が、≪日本と日本人≫を徹底的に語り合った。 (週刊ポスト2004年1月16日号より)
中曽根:今の政府、日本の政局が辿っている道は、いかに現在の憲法と自衛隊の存在、さらに国際情勢の間に矛盾、対立があるかという現実がはっきりする中で、政治家も学者も、どこに欠陥があり、なにを直すべきかを明確にしなければならない場面まで来ている。
例えば憲法解釈で、集団的自衛権は“あるけれど行使できない”と、こんな間違ったことをいっています。そんなものは総理大臣が宣言すれば行使できる。イラクへ自衛隊を派遣した場合でも、暴徒やテロにやられた場合、個人の正当防衛権に基づいて重火器を使うという基本があるが、では、部隊全体の安全とか、一緒に作業し、協力している外国部隊がやられた場合、自衛隊は助けることができないのか。日本の政府の考えなら見殺しにしろということになってしまいます。それこそ世界から日本国家の存在が問われる問題でしょう。
自衛隊は世界から見れば明らかに軍隊ですが、石原さんがおっしゃるような行動が取れないのです。
石原:仲間を助けに行かない軍隊などありません。現場の司令官が当然のこととしてそういう行動を取った時に、憲法から逸脱したからと罰せられるのでしょうか。
なぜ日本人は、憲法を含めて法律や文章の解釈がこれほど好きなのか。衆院にも参院にも、内閣にも法制局長や法制局長官がいて、政治家たちはその判断をおうかがいしている。そんなものは無視して、“超法規でやるんだ”といえない。イラクの問題は今の憲法ではだめだといい切って、超法規的に行動する絶好のチャンスです。
中曽根さんが今、総理だったらそういうでしょう?
中曽根:私は前から今の憲法ではだめだと宣言していますが、本当にある意味ではチャンスですね。前からいっているように、集団的自衛権の行使は合憲で断行すると総理が宣言すればよい。
石原:テロが日本にも攻めてくるというので、先日、東京都で生物兵器テロを想定して図上訓練をやりました。一番怖いのは天然痘ということで、テロリストが天然痘を東京の地下鉄で散布したという想定です。
すると、憲法を踏まえた人権やプラシバシーの問題でがんじがらめになってしまう。伝染病に関する法律があるわけですが、その中では、誰が罹ったか、病んでいるかを公表できないのです。発症の恐れのある人を隔離もできない。パニックになる恐れがあるとかで、テロリストのウイルス噴霧の情況の情報も出せない。つまりどんどん感染が拡がってしまう。警察出身の副知事は、警察としては、“こういう時間にこういうことがあり、これくらいの人間が感染したかもしれない”という想定を公表せざるを得ないという。片方は、それは法律上困るという。そういうケースはいくらでもあり、被害を少なくくい止めるために、結局は超法規でやる以外はないのです。