巨人や大リーグで活躍し、2008年、40歳を目前に引退した桑田真澄氏。引退直後に当時の名球会会長・金田正一氏に巨人と渡辺会長への思いを語った。(週刊ポスト2008年4月25日号より)
「桑田にはワシの手で名球会のブレザーを着せてやりたかったな」と金田氏。桑田氏も「ありがとうございます。残念ですが、通算200勝まであと27勝。力及ばず、でした」と無念そうに頭を下げた。
もっと若い頃に挑戦できれば、メジャーで思う存分、力が試せたのでは? そう金田氏が聞くと、「そうですね。ずっと行きたいという気持ちもありましたが、色々あって行けなかったんですよ」
そういって、桑田氏は古巣・巨人への複雑な思いを語った。
「巨人には本当に感謝しています。ただ、“桑田は筋を通さず、勝手に巨人を辞めた”といわれていることが今でも残念です。ボクは自分から大好きな巨人を辞めるわけがなく、巨人から戦力外通告をされたんですよ。引退セレモニーも勝手にやったことになっていますが、何日か前にある人物と会って戦力外通告を受け、その時にオーナーからも『(引退セレモニーに)行くから頑張れよ』って声を掛けてもらった。また、渡辺会長には本当にお世話になったので、ご挨拶させてくださいと何度もお願いしましたが、未だに会わせてもらえないんです」
桑田につきまとった、借金や、入団時の裏工作など巨人とのダーティーなイメージ。金田氏が「今だから話せることはないか」と水を向けると、
「もう借金の話はいいですよ。思い出すだけでしんどくなる(笑い)。ただ、入団に関しては、ボクは巨人ならプロ入り、他なら早稲田進学と決めていた。そこへ指名してくれたのが巨人だけだったから、入団しました。進学が決まっていたとしても、行きたいと思っていた球団が指名してくれたのだから、プロでやってみたい。そう思うのが自然ではないでしょうか」
その後、桑田氏はボーイズリーグの子供たちと一緒に汗を流し、早稲田大学大学院へ進学した。