終戦後もフィリピンのルバング島で“戦争”を続け、1974年に帰国した小野田寛郎元少尉。ジャングルの中で終戦すら知らずにいた「浦島太郎」のような存在と思われがちだが、実は終戦後の日本の様子を驚くほど詳細に知っていたという。ジャーナリスト・山根一眞氏との対談で当時の様子を語っている。(週刊ポスト1997年3月28日号より)
小野田 私はね、日本で戦後、何が起こっているかはだいたい知っていた。ラジオを聴いてましたから。
山根 ラジオを聴いていた?
小野田 住民のオールウェーブのトランジスタラジオ奪って。
山根 どんな放送を?
小野田 北京放送の日本語放送とかですよ。
山根 1960年代から70年代にかけて、北京放送はしきりに「アメリカ帝国主義は……」とやってました。
小野田 そういうのを聴けば、やっぱりアメリカは、と思いますよ。でも、文化大革命が始まってからは、放送内容が全然面白くなくなったですね。
山根 ほかには?
小野田 BBCとABC。
山根 イギリスのBBCの日本語放送は確かシンガポールで中継していたから、電波が強かった。ABCはカワセミの鳴き声で始まるラジオオーストラリア。あの日本語放送も人気があった。
小野田 モスクワ放送もラジオピョンヤンも。
山根 日本の放送は?
小野田 ラジオジャパンを聴いてましたよ。
山根 聴いていた!
小野田 新幹線営業開始も大阪の万国博覧会も知ってました。
ただし、終戦については「偽の情報で敵をだますのは諜報戦術としてはふつうのことです。偽の新聞をつくることだってする」(小野田氏)と、最後まで完全に信じることはなかったようだ。