1974年に帰国するまで、フィリピンのルパング島で約30年にわたって「戦争」を続けていた小野田寛郎元少尉。その間、現地住民のトランジスタラジオを奪い、日本語の放送を聴いていたことを、ジャーナリスト・山根一眞氏との対談で明かしている。(週刊ポスト1997年3月28日号より)
山根 それにしても小野田さん、短波ラジオでダイアルを回して日本語放送の周波数帯にあわせるのってすごく難しいでしょう?
小野田 そんなもの、短波放送では一般放送で使う周波数バンドがいくつか決まってますから、そこに合わせれば入ります。
山根 アンテナは?
小野田 山小屋にあった銅のワイヤーを奪い、1本1本ほぐして10メートルほどのアンテナ線にし、トランジスタにつないだんです。やはりアンテナがないと入らないですよね。日本短波放送はよく入りましたね。
山根 日本短波で何を?
小野田 競馬中継ですよ。ダービーなどを小塚(金七)一等兵(当時)と2人で聴いてました。彼は馬を2頭持っていたほどで、競走馬には詳しかった。
山根 馬券は買えない?
小野田 いや、2人で賭けてましたよ。2人の意見があわないときに次のレースまで勝ったほうが指導権を握る。
小野田氏にとって、ジャングルの中で数少ない娯楽のひとつが競馬中継だったようだ。