フィリピン・ルバング島で終戦後も「戦争」を続けていた小野田寛郎元少尉が帰国したのは1974年のこと。すでに戦争は終わり、日本は高度経済成長に突入、57年にはソ連の人工衛星スプートニク1号が打ち上げられるなど“宇宙時代”が幕を開けていた。密林の中では、そんな世界情勢など知る由もないはずだが、小野田氏はそうした技術革新の波を、自分の目で見て捉えていたという。ジャーナリスト・山根一眞氏との対談で明かしている。(週刊ポスト1997年3月28日号より)
山根 宇宙時代が始まったことは知っていた?
小野田 人工衛星が飛び始めたことは夜空を見てわかりましたね。
山根 どうやって?
小野田 星とは違う光が星より早く移動していくわけです。V型ロケットができれば、人工衛星は簡単ですよね。
山根 簡単かもしれないですけど。人工衛星の目的は何だと思いました?
小野田 それは偵察目的だね。一度、60度ほどの角度で西から落ちたのを見たんですが、あ、寿命が尽きた衛星だなと思いましたよ。
山根 それ、流星の間違いではないんですか?
小野田 青白い光を出していたので、そういう光を出すのは金属しかないんです。流星とも大きさが全然違います。
ちなみに、初めてジェット戦闘機を見た時の様子を、小野田氏はこう語っている。
「やっと『噴進』(ジェットエンジン)ができたのかと思いましたよ。プロペラ機の速度が時速700キロメートル前後なんですね。プロペラの羽の幅を広げ、4枚にしてエンジンの馬力を上げても、プロペラが受ける空気抵抗の力が大きくなって700キロメートル以上でないんですよ。その限界が見えているのだから、あとは噴進しかないと知ってました。だから、『あ、できたんだな』と思うだけですよ」
驚異の技術革新も、小野田氏の目からは冷静に分析されていたようだ。