フィリピン・ルバング島での約30年にわたる密林生活を続け、1974年に帰国し、日本中の話題をさらった小野田寛郎元少尉。帰国後、すぐに新宿区の国立第一病院(現・国立医療センター)に入院したが、小野田氏の目に、当時の日本はどう映っていたのか。以下、本人の談――。(週刊ポスト1997年3月21日号より)
「食物でいえば経済が復興し豊かになったが、ずいぶんまずいものを食っているなあと思ったですよ」
「病院を出てからの話ですが、何が食べたいかと聞かれたので『5月だから鮎の塩焼き』といったが、出てきた鮎はまずくて。養殖ものでぶくぶく肥えてて鮎の味がない。イキのいい鰯のほうがよほどましじゃまいかと思いましたよ。若鶏の空揚げも食べた瞬間にプンとヌカのにおいがして、まぁまずい。格好ばっかりで、まずいもの食っているなあと」
「だいたい体のどこも悪くないし、ルバング島では病気らしい病気をしたことがないですから。病気になったら任務の遂行ができないですから。健康状態は排便でつかめるんですよ。(便の)調子が悪い時は、天候に原因があるのか、食物に原因があるのか、疲れに原因があるのかを分析し、二度とそういうことをしないようにしていましたから」
まさかそんなことを考えて入院していたとは、当時、そう思う人はそれほど多くはなかっただろう。