100万ドルの保険をかけた脚線美が自慢の朱里エイコが亡くなったのは04年だが、人気絶頂時にはマネージャーとの恋愛失踪騒動を起こして話題となった。当時の芸能界の恋愛事情とはいかなるものだったのか。(週刊ポスト2003年5月23日号より)
あさま山荘事件が起こった72年、朱里が歌う『北国行きで』が80万枚を越える大ヒットしたが、人気絶頂時にもかかわらず、コンサート最中に失踪するという前代未聞の失態を演じてしまう。担当マネージャーだったA氏との恋愛を周囲が反対していた腹いせだったと騒がれた。
そのA氏とは74年に結婚したが、78年に協議離婚。その後は事務所社長と所属タレントとして持ちつ持たれつの関係が続いていたというから不思議だ。朱里をよく知る芸能関係者がいう。
「夫婦としてはうまくいかなくても、その関係を排除してしまえばお互い信頼し合える関係なんですよ。離婚後、妻子ある男性と不倫に陥り、ストレスから肝臓を患い1年間の療養生活を強いられたこともあったんですが、その際も彼女を支えたのは元のご主人だったんです」
その後は体も心の傷もすっかり癒え、レトロ感をふんだんに盛り込んだステージを展開。100万ドルの脚線美映像もホームページで公開していた。