【書評】『南米チリをサケ輸出大国に変えた日本人たち ゼロから産業を創出した国際協力の記録』(細野昭雄著 ダイヤモンド社 1575円)
※評者 山内昌之(東京大学教授)
大学生だった頃、青函連絡船に乗ると「サケ寿司」を食べるのが楽しみであった。北海道でさえ、いつもサケを新鮮な寿司ネタとして賞味できなかったからだ。今ではコンビニで自由にサケ寿司やおにぎりのはらみを求められる。しかし、回転寿司や刺身でサケを食べるには、年間55万トンのサケの輸入が必要なのだ。そして、そのうち15万トンをチリから輸入していることは、日本でも存外に知られていない。
この書物は、チリのサケ産業の隆盛が1969年から89年まで継続された「日本/チリ・サケプロジェクト」の成果であり、開拓の陰に地味な日本人水産専門家の長澤有晃や白石芳一らがいたことを明らかにした。かれらは、サケの稚魚を放流しても母なる川に戻ってこない現実の解決に苦しんだ。そこで発想を転換し稚魚が親のサケになるまで生簀で「海面養殖」することを思いついた。苦労の連続ともいうべきチリとの技術協力を援助したのが日本の国際協力機構(JICA)であり、その努力はやがてニチロなどの民間企業の参入を招き、日本貿易振興会(JETOR)のような政府系組織の支援も受けたのである。
オール・ジャパンの誠実な取り組みがチリ人の信頼を獲得し、市民関係者の内発的な努力を引き出した。もともとサケのいないチリが世界で1、2を争うサケ輸出国になったのは、JICAや日本企業の専門家による親身の助言に加えて、中南米で一味違う国民性もあったようだ。チリ人の忍耐力や勤勉性、持続的な結集力や集中力、中庸の美徳などは、チリを銅のモノカルチャー経済から各種水産商品輸出国に成長させる原動力になった。
著者は、国際協力を個 別プロジェクトに限らず、長い時間軸や広い視野で理解しようとする点で、相手国の社会経済に多面的な貢献をしようとする新JICAや新設の研究所の志を伝えたかったのだろう。著者の禁欲的な筆致の背後に見え隠れする使命感と静かな情熱が好ましい。
※週刊ポスト2010年10月8日号