日米関係でいうべきことをいうのは難しい。小沢氏は「対等な関係」を持論にしているが、実際には、普天間基地を県外に移転させようと交渉しただけで鳩山政権が吹き飛んだほど米国の力は強い。
小沢氏は竹下内閣の官房副長官時代、首相特使として訪米し、日米間の大きな火種だった通信分野の市場開放交渉をまとめあげた経験がある。副長官が特使というのは異例だったが、当時の自民党首脳部は、「これをまとめられるのは小沢しかいない」と国を託した。今の副長官はおろか、長官にさえそれができるだろうか。その時、米国は小沢氏を「タフネゴシエーター」と称し、評価した。
普天間問題がこじれた今年2月、米国のキャンベル国務次官補が小沢氏に訪米を要請し、小沢氏はオバマ大統領との会談を条件に5月の連休に訪米する日程調整に入った。ところが、普天間の県外移転を支持してきた小沢氏に訪米されては困る日本の外務省や米国のロビイストらが、「政治資金問題を抱える小沢氏をホワイトハウスに迎えればオバマ大統領の不名誉になる」と妨害し、ホワイトハウスの招待から米議会の招待に変わった。すると小沢氏は「話が違う」と訪米を断わった。それが「小沢訪米中止」事件の真相である。
米国側はそんな“食えない”小沢氏を警戒しながらも、代表選さなかには、国務省高官が極秘に小沢氏に接触した。会談の内容は一切明らかになっていないが、ある側近は「米国はこんなにプラグマティックに動くのか」と舌を巻いた。「小沢総理」が誕生していたら、10月にも日米首脳会談をセッティングするシナリオがあった。
小沢氏が代表選で、米国の反発を承知で普天間移転の見直しを掲げたのは、日米通信交渉や中国首脳部との論戦を通じて体得した「本気で話せばわかる」という哲学と、「オレならそれができる」という自信があったからだ。尖閣問題を「非常にまずい」といった真意は、一般国民や財界人とは少し違った意味を含んでいたのだろう。
※週刊ポスト2010年10月22日号