9月26日、肺腺がんのため、都内の病院に入院していた池内淳子さんは、駆けつけた妹たちや『女と味噌汁』(TBS系)などでプロデューサーを務めた友人の石井ふく子さん(84)に見守られ、静かに息を引き取った。享年76だった。
生涯女優を貫き通した池内さんは33年(昭和8年)、4人姉妹の長女として東京に生まれた。父は温和な会社員だったが、母は「履物はきちんと揃えなさい」「裸足で廊下に足跡をつけない」などと、躾には厳格な女性だった。
そんな池内さんが初めて両親に反抗したのは十文字高等女学校(当時)の高等部3年生のときだった。両親に黙って大手百貨店・三越の就職試験を受けたのだ。
「池内さんは周りの友達がみんな就職すると聞いて、“自分も会社勤めをしなければ恥ずかしい”と思い、願書を出したんです。でも、一次試験の合格通知が家に届いたため、すぐに家族にバレてしまい、日本橋で問屋を営んでいた祖父から・勘当だ!と激怒されてしまったそうです」(芸能関係者)
しかし、池内さんは自分の意思を貫き、三越の日本橋本店に勤務することが内定。家族も最後には、「お金の有り難みや礼儀作法が勉強できれば」と受け入れた。
「年が明けると池内さんは三越の看板だった呉服売り場に配属されることが決まりました。高校時代から美人として有名だった池内さんは、すぐに評判を呼びました。いまでいうと“美人すぎるデパガ”といったところでしょうか。呉服売り場での仕事は厳しいものでしたが、先輩社員や古いお客さんの声にしっかり耳を傾けて、必死に仕事を覚えていったそうです」(前出・芸能関係者)
三越は結局、「もう嫁に行きなさい」と両親に諭され1年半で退社。和裁と料理の学校に通い、花嫁修業をしていたが、呉服売り場で同僚だった友人にサンケイグラフの表紙モデルに応募するよう強く勧められたことで、人生が大きく変わる。
「池内さんは何気なく応募したそうなんですが、見事受かってしまい、長い髪もバッサリ切って派手な青いワンピースを着て雑誌の表紙を飾ったんです」(映画関係者)
表紙モデルの募集は、合格すれば新東宝の映画にも出演できるというもの。55年公開の映画『皇太子の花嫁』で皇太子妃候補の令嬢役として大抜擢されると、三ツ矢歌子、久保菜穂子と共に「新東宝現代劇女優三羽ガラス」として一躍日本を代表するお嬢様女優となった。
※女性セブン2010年10月21日号