検察審査会の小沢一郎氏に対する起訴議決を見て、野党も大メディアも小沢氏は民主党から「離党すべき」の大合唱を始めた。
しかし、反小沢の菅首相―仙谷官房長官ラインがなぜか「離党勧告」に踏み切らない。議決公表翌日の閣僚懇談会で、仙谷氏は「記者に離党勧告するかと聞かれても、閣僚や政務3役はコメントを控えていただきたい」と念を押し、岡田克也・幹事長も常任幹事会で、「執行部でどうこうということは一切ない」と発言自粛を指示した。民主党内の中間派議員は不思議な言い方をした。
「小沢さんの思想はラジカルで党内にはついていけないという議員は少なくない。しかし、無罪になる可能性が十分にあるのに、こんなやり方で政治生命を奪って本当にいいのか。民主党そのものが一つの軸、将来の大きな可能性を失うことになるのではないか。小沢一郎という存在がなくなって、では誰がいるのかを考えるとうすら寒くなる」
だが、小沢氏が形だけ政界に残ったとしても、その「革命的改革」のエネルギーを法廷闘争で消耗すれば、かつての師・田中角栄氏がロッキード事件後にったのと同じ「運命」が待っている。一時的に闇将軍として権力を動かしても、国を支えることはできない。改革も外交も、表舞台に立たなければ実現できないのである。小沢氏は田中の法廷を欠かさず傍聴したことで知られるが、その理由をこう語っている。
「政治家がああした疑惑を受けて、法廷の場で争うという状況になっても、それでも政治を続けるという意味というかな、それは何なのかとか。または、日本の政治はどうあるべきなのか、自分だったらどうするかという反問もあったね」(『小沢一郎 嫌われる伝説』より)
※週刊ポスト2010年10月22日号