小沢一郎元民主党代表の強制起訴をめぐる報道では、新聞・テレビのはしゃぎぶりが目についた。ジャーナリスト、上杉隆氏は検察と一体となったかのようなメディアの姿勢に疑問を投げかける。
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私は、今回の起訴について、記者クラブメディアの恥ずべき行為を同業者として嘆かざるを得ない。西松建設事件で小沢一郎元民主党代表の大久保秘書が逮捕された直後から、検察庁は記者会見で名前を出して話すよう進言し、また、新聞・テレビも検事たちの実名を挙げて報道すべきだと指摘してきた。
昨年3月、フジテレビ系報道番組『報道2001』に出演したときのことだ。
「記者クラブにリークを繰り返している樋渡検事総長と佐久間特捜部長は堂々と記者会見で名前を出して話したらどうか」
そう発言した私はその後、番組を事実上下ろされることになった。そしてある社会部記者からは、こんな電話が入ったのだ。
「お前まずいぞ、検事の実名を出しただろう。『調子にのりやがって』と、検察は怒っていたぞ」
記者は私の身を案じて連絡してきたのだが、正直、呆れて返す言葉も見つからなかった。そもそも、検察官は起訴権とともに捜査権、逮捕権を持っている国家権力だ。世界中のジャーナリズムにおいて、これほどの権力を持った公人を匿名で報道することなどありえない。匿名にしてしまえば政治利用され、情報操作される可能性が生じるからだ。
ところが、記者クラブメディアには、検事の氏名を出して、批判してはならないという暗黙のルールがあるのである。
仮に当時から検事の実名報道をしていれば、検察という国家権力に対するメディアのまっとうな監視機能が働き、厚生労働省の村木厚子元局長の冤罪事件のような証拠改ざん事件を防ぐことができたかもしれない。私は逮捕された前田検事についても、以前から実名でその捜査の強引さを批判してきた(拙著『暴走検察』参照)。
村木氏の事件をめぐって、記者クラブメディアは大々的な検察批判を展開している。だが、私にいわせれば、官報複合体として検察権力と同衾し、共犯者としてリーク情報を垂れ流してきた記者クラブメディアこそ批判されるべきなのである。
※週刊ポスト2010年10月22日号