かつて日本には、国難に直面する度に、「毅然」とした姿勢で国を導き、国際社会から尊敬されるリーダーが存在した。
開国以来の欧米との緊張関係―柔軟さと辛抱強さを持ち、それに対処したのが伊藤博文(1841-1909)である。憲政功労者の感がある伊藤だが、総理在任中に条約改正を果たし明治外交への貢献も大きい。
維新政府で伊藤が開明派たり得たのは、渡欧経験に由来する。長州藩時代の英留学、そして維新後、岩倉使節団として随行した欧米周遊。現地をつぶさに視察した伊藤は殖産興業の国内発展を心に決めたという。
単に欧米で感化を受けたのではない。サンフランシスコでの歓迎行事では知事、市長ほか300人超の観衆を前に、堂々と英語でスピーチを行なった。伊藤は使節目的は文明の知識を取り入れるため―と挨拶した上で熱弁を続けた。
<わが国旗にある赤いマルは、もはや帝国を封ずる封蝋のように見えることなく、いままさに洋上に昇らんとする太陽を象徴し、わが日本が欧米文明の中原に向けて躍進する印であります>
万雷の拍手は鳴り止むことがなかった。後に「日の丸演説」と評されるスピーチは、新生日本の誕生を見事に世界に印象付けた。
※週刊ポスト2010年10月29日